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先週末、大湊に遠征しました!

 投稿者:管理人HARUNA  投稿日:2016年 6月 7日(火)22時17分24秒
返信・引用 編集済
  先週末、大湊基地で「マリンフェスタ大湊」が開催されるのに合わせて、大湊遠征を敢行いたしました。
九州に住んでいる者にとって大湊はまさに“遥か彼方の地”で、遠征するには長い移動時間と
軽くない交通費の負担がのしかかりますが、5大基地の中でも未踏の地であり、
北方防衛の拠点・大湊を訪れることは何年も前からの悲願でしたので、
代休がまとまって取得できるという好機にも恵まれたこともあり、思い切って遠征した次第です。

当日は強風とみぞれ混じりの雨に降られ、気温も九州の3月上旬頃のような寒さに見舞われ、
撮影条件としては決して良好ではありませんでしたが、存分に撮影を楽しんで参りました。
ただ残念ながら在泊艦艇が少なく、大型艦の公開は上甲板のみ、
さらに「ドック見学会」などの恒例プログラムが今年は実施されないなど、
マリンフェスタが例年よりも簡素化された内容だったことが惜しまれます。
それだけ海自が忙しいという事なのでしょうね。
それでも美しい自然に囲まれた北方防衛の拠点基地でたくさん取材・撮影をしてきましたので、
遠征レポートを楽しみにしてお待ちくださいませ。

>平井様
丁寧なるお礼の書き込み、ありがとうございます。
また我が祖父につきましてお褒めの言葉をいただきまして大変嬉しく思っております。
同じ「陸奥」の乗組員の子や孫がこうして交流していることを、祖父も天国から喜んでくれていると思います。
また私にとっても久しぶりに祖父を思い出し、懐かしむいい機会となりました。重ねて御礼申し上げます。
今後とも当HPへのご支援・ご声援、よろしくお願いします。

>青嵐さま、すーさん様、以前のハンドル忘れました様
「はしだて」公開の報告ありがとうございます。会議室も公開されていたようですね。
私が2010年に四日市港で見学した際には会議室が公開されていなかったので、とても羨ましく思います。
「はしだて」のような艦艇が公開され、多くの人に存在を知ってもらうのはとてもいいことだと思うので、
今後も各地で公開を実施して欲しいものです。

>阪神基地隊傍さま
イベント情報ありがとうございます。関西方面の6月はイベントがさく裂していますね。
我が九州は震災の影響もあって何もないのが残念です…。

>グッチ様
おぉ、1日2日は「はちじょう」が公開されていたのですね。
その両日は大湊に行く途中に東京に滞在していたので撮影に行けばよかった…。

 
 

護衛艦いせ一般公開姫路港9岸壁

 投稿者:阪神基地隊傍  投稿日:2016年 6月 5日(日)20時04分24秒
返信・引用
  護衛艦 いせ入港に伴う 一般公開姫路港9岸壁

公開日時:平成28年6月21日(火)及び22日(水)

1400~1600 (最終受付1530) 場 所 :姫路港9岸壁

http://www.mod.go.jp/pco/hyogo/pdf/iseippannkoukai.pdf

 

木造掃海艦「はちじょう」が横浜開港祭で一般公開されました

 投稿者:グッチ  投稿日:2016年 6月 4日(土)00時14分3秒
返信・引用
  管理人様、皆様、いつもお世話になっております。

6月1日~2日に開催された横浜開港祭で、木造掃海艦「はちじょう」が一般公開されました。
私が訪れたのは最終日の最終受付前でしたが、見学希望者の列は途切れていませんでした。

岸壁で喇叭のデモを行っており、何曲目かに「國の鎮め」を聞くことができました。
吹奏者自身が「一般公開ではレアもの」と仰っていた通り、なかなか珍しい選曲と思いました。

話は変わりますが、東京湾フェリーのFacebookは時々興味深い写真が掲載されます。
特に6月1日などはお勧めです。
 

練習艦「しまゆき」阪神基地隊入港に伴う一般公開

 投稿者:阪神基地隊傍  投稿日:2016年 5月28日(土)18時31分57秒
返信・引用
  まだどなたも掲示板にあげられていないので
練習艦「しまゆき」阪神基地隊入港に伴う一般公開

6月19日(日)に練習艦「しまゆき」の一般公開を行います。「しまゆき」は、広島県呉市に在籍している練習艦であり、女性自衛官も多数乗艦しています。

【日時】平成28年6月19日(日)10:00~16:00(乗艦受付は15:30まで)

【場所】 阪神基地隊

http://www.mod.go.jp/msdf/hanshin/info/news/6.17shimayuki.html

 

陸奥の艦上乗組員写真のお礼

 投稿者:平井 國三  投稿日:2016年 5月26日(木)20時24分21秒
返信・引用
  HARUNA様
先日は陸奥乗組員写真の原版をお送りいただき有難うございました。顔の表情まで分る非常に鮮明な写真でしたので驚きました。この写真撮影が1923年4月ですので私の父はその当時は22歳で、陸奥の乗組員になって1年そこそこの水兵です。その当時の日本の
自治体は3府43県ですので各県から3人選ばれた同期生は約150名で、2番砲塔辺り以降にいると思われますが陸奥の全幅34m、とブリッジを入れた写真となれば遠景は焦点が合いませんので顔の表情などは分かりませんでした。大変残念でしたが父を探し出すことができませんでした。
しかし「オレワ ココニイルゾ」という声が聞こえてきそうで胸が熱くなりました。
食い入るように何度も何度もパソコンで拡大、縮小を繰り返し探しましたが見つけ出すことはできませんでしたが、この中の何処かに必ずいることが分かっていますので送って頂きました貴重なこの写真のお蔭で若き日の父を間近に感じることができました。HARUNA様には本当に感謝しております。
陸奥はこの写真撮影5か月後、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災の救助のため呉港で救援物資を積み込んで東京湾に向かったんですね。東京湾には地震災害で多数のご遺体が浮かんでいたそうで、引き上げたそうです。(余談になりますが女性の遺体は仰向けになり、男性はうつ伏せになっていたと父が言っていました。)
HARUNA様の祖父様は背筋をピンと伸ばして姿勢よく、髭も蓄えておられ、強い気骨を持っておられた様が伺えます、まさしく鬼軍曹様そのもののようにお見受します。父はこのような立派な方に厳しく鍛え上げられたことと思い、私が言うことではありませんが大変嬉しく思いました。
私の先祖はその昔、細川藩の船奉行として仕えていたと伝え聞いており、明治から昭和初期に生きた祖父の名前は「内匠」(たくみ)と言います。(播州赤穂の浅野家から無断で借用したのではないかとも思いますが(笑)、そして父の名前は「団八」(だんはち)と言います。陸奥艦上での朝の点呼の時「平井団八!」と呼ばれ時、あまりにも勇ましい名前だったので、艦長みたいな名前やと言って冷やかされたそうです。
陸奥に乗っていたことは父にとっては一生の思い出で「人生の全て」みたいな感じでした。
私は今、毅然とした鬼軍曹様にもそれとなく親しみを感じているものです。「父がお世話になりました」
と、写真にお礼を申し上げております。
頂きました写真で感動をさせて頂きまして有難うございました。
写真は額に入れて飾らせていただきたいと思います。

鬼軍曹様のお孫さんになられるHARUNA様の今後のご健康とご発展をお祈りいたします。
有難うございました。
平井 國三



 

特務艇「はしだて」公開

 投稿者:以前のハンドル忘れました  投稿日:2016年 5月23日(月)17時51分15秒
返信・引用
  おそらく二度目ましてです。
私的に初めての艦艇公開に参加しました。
初回が兵装なしの「はしだて」というのが軟弱な私らしいというか、何ともです。
12時過ぎに並び始めた頃は100人弱だったのにあっという間に長蛇の列となっていました。
舞鶴への回航は400tのフネだと大変だっただろうなと乗務員の方に同情してしまいました。
東北の震災時には「はしだて」にも出動がかかったそうです。
VIPルームの乗艦者署名簿は「内閣総理大臣 野田佳彦 平成二十四年」とありました。
個人的には通信室や機関室も見たかったのですが、一見さんに見せてもらえる訳もなく…。
あと、幹部(一佐)の方がデジカメを向けておられたので、「上級士官の方なら珍しくもないでしょう」と声を掛けたら「私みたいなペーペーは近寄る事もできませんよ(笑)」との事でした。

なお、見た範囲で当日「はしだて」以外の舞鶴在泊艦艇をお知らせします。
艦番130(修理または改装中のため艦名判らず)、艦番177「あたご」、艦番181「ひゅうが」、艦番175「みょうこう」、艦番4301「ひうち」、艦番72(艦名判らず)、艦番681「すがしま」、艦番682(?)「のとじま(?)」、他に水船または油船3隻
 

特務艇「はしだて」公開

 投稿者:すーさん  投稿日:2016年 5月22日(日)21時18分26秒
返信・引用 編集済
  HARUNA様、皆様、いつもお世話になります。

HARUNA様、新作コラム拝読しました。ほぼ同世代ですので、80年代の海上自衛隊と現在の海上自衛隊の違いの話、共感しました。大型護衛艦の充実、旧海軍の艦名の復活、そして展示訓練などに参加するようになって、現場には旧海軍の伝統が息づいていることを目の当たりにし、艦活再開に至りました。そしてHARUNA様のブログに出会ったことも大きな後押しになりました。感謝しています。

さて、私も青嵐さんと同じく、舞鶴基地での特務艇「はしだて」の公開に行ってきました。艦名ゆかりの地である天橋立の近くにある舞鶴基地寄港は、以前から要望が上がっていたそうで、今回ようやく実現に至ったそうです。また教育隊の隊員さんに、こういう仕事もあるという紹介、研修という任務で各地を巡行しているそうです。この日は訳あって護衛艦「みょうこう」にも乗艦してきました。
 

Re: 平井様へご連絡

 投稿者:平井國三  投稿日:2016年 5月22日(日)17時59分52秒
返信・引用
  管理人HARUNAさんへのお返事です。

HARUNA様とこうしてやり取りできますことを「奇しきご縁」と思い感動しております。
おっしゃるように「鬼軍曹」様と私の父も奇遇で、同じ釜の飯を食った仲ですのでお互いに
知っていることと思います。
先だっての掲示板には書き漏れましたが、私の父は陸奥では、筋肉質の力持ちだったそうで、
自慢のカッタ-の漕ぎ手だったそうです。父は81歳で亡くなりましたが、病気で入院することは一度もありませんでした。亡くなる日の朝起きて自分で布団をあげ、ひげを剃って、朝食をし、スット立ち上がった瞬間に倒れて逝きました。当然最期を看取ることもできなかったのが私にとっては残念なことでした。
ガンで亡くなった昭和16年生まれの兄には国を衛(まもる)という意味で
國衛(くにえい)と名付け、昭和18年に生まれた次男の私には昭和16年の日独伊の三国同盟にちなんで
國三(くにみつ)と名付けております。戦争の影響は大変大きなことでした。
私も自分の名前に誇りを持っております。ただ私は機械工学の方向に進み今や年金暮らしをしております。
陸奥艦上にての話としては「食事は腹八分目で、食べたらすぐに食卓を離れろ」「酒も所定量を飲んだら
ピシット盃を裏返せ」「ダラダラ食うな、飲むな」が口癖でした。
小さい洗面器一杯の真水は貴重で全員がピリピリして有効利用していたとのことでした。
HARUNA様の鬼軍曹祖父様もそのようにキツク指導されていたものと思われます。
ところが今の私と私の息子達は現状日本のナマヌルキ世情の中で、変な平和の中でダラダラとしていますので
当然怒られているはずです。

ところで艦上のお写真の件ですが頂けましたらこの上もなく嬉しく思います。
額に入れて大切にさせて頂きたいと思います。
すぐにメ-ルさせて頂きます。是非よろしく、よろしくお願いします。
(実は貴HPのHARUNA様の艦上写真を2倍に拡大してボヤケタ写真を眺めていました)
以上 平井國三




> 平井國三 様
>
> はじめまして。先日は戦艦「陸奥」に関します書き込み、ありがとうございました。
> お父上が我が祖父と同じ時期に「陸奥」に乗り組んでいたとのことで、
> そのような方に当HPをご覧になっていただき、書き込みをしていただいたことを大変嬉しく思います。
> また、当時「陸奥」には選りすぐられた優秀な軍人が乗り組んでいたとのことで、
> 改めて我が祖父を誇らしく思いました。もしかしたら本当に平井様の父上を指導していたかもしれませんね。
>
> さて、平井様がご覧になった「陸奥」全乗組員の画像は小さくて乗組員の顔もほとんど判別できませんので、
> オリジナルの画像をお送りさせていただこうと思っております。
> つきましては当HPトップページのカウンターの下にあるメールボタンをクリックするか、
> またはこの板の一番下↓にある「管理人者にメール」のボタンをクリックして
> 私の方までメールをお送り願います。本文はお名前だけでも構いません。
> いただいたメールのアドレスに画像を添付したメールを返信させていただきます。ご連絡お待ちしております。
>
>
 

新緑香る舞鶴

 投稿者:青嵐  投稿日:2016年 5月21日(土)22時24分12秒
返信・引用
  本日おこなわれた特務艇「はしだて」の一般公開に行ってまいりました。
到着後12時発の遊覧船で舞鶴基地を眺めたあといざ一般公開へ。
「はしだて」は岸壁の西端近くに接岸していましたが私が到着した時には舞鶴基地の
正門近くまで列ができていました。
40分ほどで乗艇出来ましたが暑さがさほど厳しくないこの時期でたすかりました^^;
見学は十数人ごとに間隔をあけて乗艇するようになっていたので見学中はさほど混み合うようなことはありませんでした。

本日は「はしだて」の他にも護衛艦「ひゅうが」「あたご」「みょうこう」など
舞鶴基地の目玉となる艦艇が停泊していたので舞鶴まで足を運んだ甲斐がありました。

>>管理人様へ
コラム拝見しました。
自分としてはこちらのHPがあったおかげでここまで海自や艦艇にのめり込むことができたと思うのでこれからも各地のイベントのレポートやコラムの執筆楽しみにしております。
 

平井様へご連絡

 投稿者:管理人HARUNA  投稿日:2016年 5月20日(金)20時45分45秒
返信・引用 編集済
  平井國三 様

はじめまして。先日は戦艦「陸奥」に関します書き込み、ありがとうございました。
お父上が我が祖父と同じ時期に「陸奥」に乗り組んでいたとのことで、
そのような方に当HPをご覧になっていただき、書き込みをしていただいたことを大変嬉しく思います。
また、当時「陸奥」には選りすぐられた優秀な軍人が乗り組んでいたとのことで、
改めて我が祖父を誇らしく思いました。もしかしたら本当に平井様の父上を指導していたかもしれませんね。

さて、平井様がご覧になった「陸奥」全乗組員の画像は小さくて乗組員の顔もほとんど判別できませんので、
オリジナルの画像をお送りさせていただこうと思っております。
つきましては当HPトップページのカウンターの下にあるメールボタンをクリックするか、
またはこの板の一番下↓にある「管理人者にメール」のボタンをクリックして
私の方までメールをお送り願います。本文はお名前だけでも構いません。
いただいたメールのアドレスに画像を添付したメールを返信させていただきます。ご連絡お待ちしております。

 

お久しぶりです!

 投稿者:管理人HARUNA  投稿日:2016年 5月20日(金)20時27分7秒
返信・引用
  管理人です。この板には久しぶりの書き込みとなってしまいました。
この間、熊本地震で私の住む大分市内も激しく揺れ、その後しばらくは頻発する余震に悩まされましたが、
私においては大きな被害もなく、無事に生きております。
ただ震災後は本職の方が多忙となり、加えてアップしなけらばならない画像やレポートも残っていたことから、
皆様への“生存報告”が遅くなってしまいました。お許しくださいませ。
また、地震直後から多くの方に安否を気遣うメールをいただきました。
上記のような理由から全員にはお返事を返すことができておりませんが、
お心遣いは大変嬉しく思っております。ありがとうございました。

さて、観艦式レポート終了後から観艦式や夏のイベントで撮り溜めた画像のアップロードや、
観艦式レポによって掲載が後回しになっていたレポやコラムを一気にアップロードさせていただきました。
今シーズンも間もなく開幕しようかというのに未掲載の画像が多く、
中には2~3年もPCの中で眠ったままになっている画像もあるので、これからも勢力的にアップしていく予定です。
また、コラム「出港用意!」を久しぶりにアップしたところ、さっそくご感想をいただきました。ありがとうございました。

舞鶴には「はしだて」が来航しており、今週末の土日に一般公開があるようですね。
私も「はしだて」を見たいのですが、さすがに舞鶴までは行けないので、この週末は佐世保へ行って、
最近運航が始まった「軍港クルーズ船」に乗って海から佐世保在籍艦艇を撮影してみようかと考えております。
「はしだて」公開に行った方々のこの板でのご報告、楽しみにしております!

 

好きだから?

 投稿者:せとゆき131  投稿日:2016年 5月19日(木)18時57分10秒
返信・引用
  HARUNA樣
ごぶさたしておりました。コラム拝読いたしました。
「好きこそ物の上手なれ」で趣味を活かした仕事に就くか、「趣味と仕事は別」で全く違う仕事に
就くか、悩ましいところですね。僕も趣味で仕事を選びましたがはたして良かったかどうか・・
却って行き詰って、辞める人も居ますしね。ま、選んだ限りは頑張らんとイカンですね。
あと4年で定年です。
土曜日、「はしだて」撮影に行こうと思います。
 

特務艇「はしだて」舞鶴基地入港

 投稿者:すーさん  投稿日:2016年 5月19日(木)00時37分13秒
返信・引用
  HARUNA様、皆様、いつもお世話になります。

たびたび失礼します。舞鶴基地に「はしだて」が寄港しました。5月21日の午後には一般公開もされます。ご参考まで。
 

(無題)

 投稿者:YUKI  投稿日:2016年 5月18日(水)23時47分46秒
返信・引用
  HARUNA様、コラム読ませて頂きました。80年代当時の海上自衛隊に対する考えや雰囲気がよく分かりました。
それにしても…ゆき型が最新鋭だった当時の海自から、よく世界第何位と呼ばれるまで発展しましたね。
来月に横須賀で開催される護衛艦の一般公開に行く予定です。写真もアップさせて頂きます。
 

護衛艦「きりさめ」大阪港出港

 投稿者:すーさん  投稿日:2016年 5月17日(火)19時06分39秒
返信・引用
  HARUNA様、皆様、いつもお世話になります。

連投失礼します。大阪港に寄港していた、護衛艦「きりさめ」出港お見送りしてきました。曳船の支援での回頭シーンです。
 

ロンリーひゅうが

 投稿者:ケーファー  投稿日:2016年 5月17日(火)10時07分3秒
返信・引用
  管理人様、海上自衛隊応援団の皆さま
この日曜日、舞鶴基地周辺クルーズ船に初めて乗船。
海上から舞鶴基地所属の艦船を見られるものと思っていましたら、
なんと桟橋には「ひゅうが」のみ。
イージス艦も輸送艦もミサイル艇もすべてではからっておりました。
しかし「ひゅうが」の巨大な船体を湾内各所より見ることができ感激いたしました。

「ひゅうが」の乗員の皆さん、熊本地震での災害救助活動ご苦労様でした。
 

陸奥の乗組員の父

 投稿者:平井 國三  投稿日:2016年 5月16日(月)20時20分12秒
返信・引用
  HARUNAさん初めまして。私は戦艦陸奥の乗組員だった父を持つ72歳の子供です。次男で、
大阪府吹田市に住んでおります。
陸奥艦上における全乗組員の写真の中には、たぶん私の父も入っているものと思われ、この写真に見入っています。1901年生まれの父は1920頃、当時は日本の各県から3人選抜されて陸奥にて訓練してもらっていたそうですが幸いに父も熊本県でその3人に選ばれて、水兵としてHARUNAさんの「鬼軍曹」祖父さまに厳しく鍛えられたことと思われます。生前の話では、頑健だった父は救助艇(カッタ-)の漕ぎ手をやっていたそうです。また当時は東京と大阪に分かれていた大相撲の相撲取りの人と戦艦陸奥の代表として相撲を取って、負けたことがあるといっていました。
1923年9月の関東大震災には陸奥に乗って東京湾に救助に行ったといっていましたので、
この写真は1923年の4月ですから震災の半年前ですから、たぶんこの写真のどこかに
若かりし日の父が映っていることと思います。34年前に亡くなった父のことをを思い出しながらこの写真に見入っているものです。父は熊本県八代育ちでしたが陸奥で佐世保鎮守府に行き、やがて佐世保近郊で所帯を持ち私は生まれたのです。陸奥の話は何時も聞かされておりました。規則正しい生活で、私も小さいころダラダラしているとゲンコツを貰ったものでした。
太平洋戦争時はすでに40歳になっていましたので、艦には乗らず、南大東島に行ったそうですが
その時の話はあまり聞いていません。やはり陸奥の思い出は強烈であり、自慢でもあったんだろうと思っております。亡き父の艦上写真を見せて頂き感謝しております。有難うございました。
 

大阪港「きりさめ」一般公開

 投稿者:青嵐  投稿日:2016年 5月16日(月)11時35分35秒
返信・引用
  土曜日の一般公開に行ってまいりました。
開始直後くらいに到着しましたが特に並んだり混雑することもなくスムーズに見学できました。
当日はかなり日差しが強かったですが見学中は良い風が吹いてくれたのでよかったです。
通路に置いてあった救助訓練用の人形の顔がものすごい形相でした。

先の地震で大分も随分揺れたようですが管理人様がご無事なようで安心しました。
 

Re: きりさめ入港

 投稿者:馬鹿ネコ  投稿日:2016年 5月14日(土)23時21分8秒
返信・引用 編集済
  bakanekoさんへのお返事です。

再生数稼ぎの宣伝ですね!
お疲れ様です。

> きりさめで検索し来ました。
 

きりさめ入港

 投稿者:bakaneko  投稿日:2016年 5月14日(土)22時18分19秒
返信・引用
  きりさめで検索し来ました。
 

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