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北朝鮮(=安倍政権)は好きですか。

 投稿者:日本人  投稿日:2016年 9月 9日(金)04時12分44秒
返信・引用
  北朝鮮が好きな人、特に北朝鮮の政治が好きな人は、世界でも日本の一部にしか棲息していない狂信的なアベ信者以外には、ほとんどいないでしょう。
安倍は北朝鮮の工作員の中では現状では最も有名ですからね。

安倍政権が数年続くだけで、日本は必ず今の北朝鮮(=かつての大日本帝国)のような国になります。

ビデオ : FACEBOOK FC2 FC2 FC2


これらのビデオを見れば、安倍政権が今正に始めようとしていることが北朝鮮ではすでに実現しているのがよくわかります。

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でも、自民党自体が北朝鮮の政党であり、統一教会の政党であるので、安倍政権が倒れても、自民党が存続すれば、結果は似たような悲惨で過酷なものになりますね。

今はアベ将軍様の君臨を期待している哀れなアベ信者だって、いよいよ食べ物がなくなれば、現実に目覚めるでしょう。

でもその時は手遅れかもしれません。

敏速に安倍政権と自民党を倒して、日本の文化や平和や安全や繁栄を取り戻しましょう。

アベ政治を許さない!
 
 

北朝鮮第一書記金正恩はマルコ・ポーロの生まれ変わり。

 投稿者:ねこ  投稿日:2014年 8月27日(水)14時30分1秒
返信・引用
  北朝鮮第一書記金正恩はマルコ・ポーロの生まれ変わり。

http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0203/32/213_1.html

その誕生日は、最高にめでたい。

(仮説を含む)

( http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0103/38/265.html )
 

埼玉県警 金山泰介 本部長 が極右政党 維新・橋下氏に献金

 投稿者:埼玉県警 金山泰介 本部長 が極右政党 維新・橋  投稿日:2014年 3月29日(土)11時28分21秒
返信・引用
  記事1) 埼玉県警 金山泰介 本部長 が極右政党 維新・橋下氏に献金

<政治資金>埼玉県警本部長が橋下氏側に献金…独法へ出向中


毎日新聞 11月30日(土)7時5分配信



警察庁キャリアの金山泰介(かなやま・たいすけ)埼玉県警本部長が、経済産業省所管の独立行政法人に出向中、橋下徹大阪市長の資金管理団体に7万円を献金していたことが、2012年分の政治資金収支報告書で分かった。

金山氏は取材に「当時は公務員でなかったが、軽率だった」と答えた。法律違反ではないが、警察庁は出向中であっても政治的中立性が求められるとの立場で、不適切な献金とみて経緯を調べる。
 橋下氏の資金管理団体「大都市制度研究会」(大阪市)の収支報告書によると、献金は同年5月15日付。10年8月~12年6月、独法「中小企業基盤整備機構」業務統括役を務めていた。橋下氏側に献金した理由について、金山氏は「知人に頼まれた」と説明した。【村上尊一】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131130-00000006-mai-soci

------------------------------

記事2)  対談: 仙波敏郎氏(元愛媛県警巡査部長) 岩上安身氏(フリージャーナリスト)

愛媛県警の裏金を内部告発した仙波敏郎さん 1~ 13
http://www.youtube.com/watch?v=4VqhLhDaY_8
http://www.youtube.com/watch?v=tLRad9GzRKQ
http://www.youtube.com/watch?v=iH__VZcrfnQ
http://www.youtube.com/watch?v=-pTwx9RdCSg
http://www.youtube.com/watch?v=EhRV2eqwiVo ]
http://www.youtube.com/watch?v=Tf5ZNiruFxA
http://www.youtube.com/watch?v=XILnF0KNCSs
http://www.youtube.com/watch?v=wSbGp4Ak8CM
http://www.youtube.com/watch?v=pSbQ5bj5Rs0
http://www.youtube.com/watch?v=PtOWtyjyyg0
http://www.youtube.com/watch?v=PwOgDp9fcg8
http://www.youtube.com/watch?v=0JmiEq2lgYc
http://www.youtube.com/watch?v=ysKe5T7HzaM


まったく信じがたいことですが、全国の警察では組織をあげて税金を横領しています。その金額は年間100億円規模とも考えられます。

これが放置されてきたのは、27万人の警察官の多くが、実際に領収書を偽造して巨額の裏金をつくっているにもかかわらず、全員が口をつぐんできたからです。

なんと大多数の警察官は犯罪者なのです。
愛媛県警の仙波敏郎巡査部長は、現職警察官としてただひとり、警察内部で行われている領収書偽造によるウラ金づくりを告発しました。

彼は公務員の告発義務に従っただけです。その結果、優秀な警官でありながら、懲罰的な配転を受けました。

これに対して彼は、裏金の実在を証明するために国家賠償訴訟を提訴。平成19年9月に一審で勝訴、組織ぐるみの裏金づくりの事実や、仙波さんの左遷に県警本部長が絡んだことを認定させました。

しかし県側は控訴し、20年9月に高松高裁で敗訴。翌10月に最高裁への上告を断念して、仙波さんの勝利が確定しました。とは言え警察庁ならびに全国の警察は、未だに裏金の存在を認めていません。
このような大規模な不正が罷り通る構造はどうなっているのか、警察組織の体質はどうなっているのか、「正義の人」に伺ってみました。仙波敏郎さんを支える会世話人の東玲治氏にもご同席いただきました。

引用元
http://ww7.enjoy.ne.jp/~j.depp.seven/
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/tag/%E4%BB%99%E6%B3%A2%E6%95%8F%E9%83%8E
http://www.nin-r.com/intr/semba/righteousone/01.html
http://www.nin-r.com/intr/semba/index.html



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<転び公妨>



警視庁公安部公安二課長「 栢木國廣 (かやき・くにひろ) 」


この人物は、今年の2月に警視庁公安部 公安2課長(警視)になっていますが、それ以前は東京都台東区の下谷警察署長でした。



10/26 渋谷署警察官との事前打ち合わせ@ハチ公前  http://www.youtube.com/watch?v=VukCiIa0BDc
10/26 渋谷、逮捕前に打ち合わせするデカ     http://www.youtube.com/watch?v=Rc0Z0Yvde8E
10/26 麻生邸宅見学に向かおうとしたら逮捕    http://www.youtube.com/watch?v=3Uw701vV15U


http://asoudetekoiq.blog8.fc2.com/  より引用

----------------------------
金山泰介  著書 本 「 警察の倫理 」「 社会安全政策論概説 」→ 極右政党・維新 橋下氏に献金 同年5月15日付


辞職 異動 献金 埼玉県警  埼玉県警察 埼玉県警察会計担当官 金山泰介
総務部 警務部 生活安全部
公安第一課  公安第二課 公安第三課
地域部 刑事部 交通部 警備部
総務課 警務課 生活安全企画課 地域課 刑事総務課 交通企画課
文書課 監察官室 少年課 通信指令課 捜査第一課 交通指導課
広報課 教養課 少年捜査課 自動車警ら隊 捜査第二課 交通捜査課
情報管理課 厚生課 生活環境第一課 鉄道警察隊 捜査第三課 交通規制課 警備課
留置管理課 生活環境第二課 鑑識課 交通機動隊 災害対策課
サイバー犯罪 科学捜査研究所 高速道路 外事課
対策課 機動捜査隊 交通警察隊 機動隊
子ども 女性 財務局 安全対策隊 組織犯罪対策局 運転免許本部
会計課 組織犯罪対策課 運転免許課
施設課 捜査第四課 運転管理課 装備課 薬物銃器対策課 運転免許試験課 国際捜査課

 

所沢市の債務残高は1000億円

 投稿者:所沢市の債務残高は1000億円  投稿日:2014年 1月17日(金)12時13分43秒
返信・引用
  < 所沢市の財政 >

所沢市の債務残高は1,033億円あります。
市民が34万人なので一人当たりに換算すると約30万円になります。
市職員の退職金に関しては、所沢市は市が毎年単独で職員の退職金の基金などで備えるのでなく、
埼玉県市町村総合事務組合と言う組織に職員の基本給に一定の料率を掛けた金額を積んでいます。
所沢市が払っている事務組合への支出金( 所沢市民の税金 )の "25億円は他の自治体職員の退職金" になっています。
そして、退職金のための事務組合への支出金を増やし続けています。
2004年: 2,136,789,248 円
2005年: 2,140,172,806 円
2006年: 2,327,784,824 円
2007年: 2,457,732,641 円
2008年: 2,700,097,447 円

所沢市は2011年度予算で約80億円の歳出超過となり、税収不足を謳ってるにもかかわらず、市職員の高額給与・退職金などの無駄使いを改めていません。
それでは、以下に所沢市を放漫財政にしたであろう、役職に就いた市職員の名前を挙げようと思います。


平成12年
細井義公  企画部長       小澤 孝  総務部長
村上逸郎  再開発事務所長   志村勝美  下水道部長
志村 弘  財政部長       松山雅臣  市民部長
岩渕淑子  保健福祉部長     栗原功道  保健福祉部次長
中澤貴生  環境部長       並木幸雄  清掃部長
山下正之  経済部長       小峰 威  道路部長
大塚哲史  都市計画部長     高橋晴夫  都市整備部長


平成13年
星野協治  道路部長 岩渕淑子  保健福祉部長
小澤 孝  総務部長 細井義公  企画部長
並木幸雄  清掃部長 志村勝美  下水道部長
山下正之  経済部長  中澤貴生  環境部長
大塚哲史  都市計画部長   高橋晴夫 都市整備部長
志村 弘  財政部長     松山雅臣  市民部長
栗原功道  保健福祉担当理事

平成14年
小桧山正幸 水道部長        星野協治  教育総務部長
小澤 孝  総合政策部長      細井義公  財務部長
栗原功道  保健福祉担当      西久保正一 環境クリーン部長
高橋晴夫  まちづくり計画部長   小峰 威  中心市街地
志村勝美  道路公園部長      中澤貴生  下水道部長
川原賢三郎 市民経済部長      岩渕淑子  保健福祉部長


平成15年
再開発担当理事            星野協治  教育総務部長
中澤貴生  下水道部長       柳下昌夫  水道部長
小澤 孝  総合政策部長      二見 孝  財務部長
川原賢三郎 市民経済部長     小桧山正幸 保健福祉部長
西久保正一 環境クリーン部長   高橋晴夫 まちづくり計画部長
中村光夫  中心市街地       志村勝美  道路公園部長


平成16年
西久保正一 総合政策部長      二見 孝  財務部長
中村光夫  中心市街地整備担当理事  中澤貴生  下水道部長
澁谷好彦  市民経済部長      小桧山正幸 保健福祉部長
川原賢三郎 環境クリーン部長   高橋晴夫  まちづくり計画部長
小暮欽三  事務部長


平成17年
永田幸雄  中心市街地整備担当理事  高橋晴夫  道路公園部長
石井忠男  下水道部長      星野協治  水道部長
西久保正一 総合政策部長      澁谷好彦  財務部長
斉藤 清  市民経済部長      小桧山正幸 保健福祉部長
川原賢三郎 環境クリーン部長    中澤貴生  まちづくり計画部長
小暮欽三  事務部長


平成18年

石井忠男  下水道部長      星野協治  水道部長
西久保正一 総合政策部長     竹内利明  危機管理担当理事
澁谷好彦  財務部長       斉藤 清  市民経済部長
永田幸雄  中心市街地整備担当理事  高橋晴夫  道路公園部長
小野民夫  保健福祉部長     高麗 潔  環境クリーン部長
中澤貴生  まちづくり計画部長


平成19年
村山金悟  危機管理担当理事     澁谷好彦  財務部長
本間幹朗  市民経済部長       小野民夫  保健福祉部長
高麗 潔  環境クリーン部長     斉藤 清   まちづくり計画部長
永田幸雄  中心市街地整備担当理事  中  隆   道路公園部長
石井忠男  下水道部長 水道事業   富澤行雄  水道部長


平成20年
小野民夫  総合政策部長      村山金悟  危機管理
本間幹朗  財務部長        富澤行雄  市民経済部長
黒田信幸  保健福祉部長     高麗 潔  環境クリーン部長
中  隆  まちづくり計画部長   黒須 実  中心市街地整備担当理事
神田 博  道路公園部長      鈴木康夫  下水道部長
並木俊男  水道部長        笹原文男  センター事務部長


平成22年
仲 志津江 こども未来部長      並木俊男  環境クリーン部長
鈴木康夫  総合政策部        富澤行雄  財務部長
笹原文男  総合政策部長       青木直次  水道部
大舘 勉  市民経済部長       内藤隆行  保健福祉部長
新堀祐蔵  街づくり計画部長     黒須 実  中心市街地整備担当理事
木村一男  建設部長         藤巻和仁  下水道部長
澁谷好彦  水道事業管理者


平成23年
大舘 勉  総合政策部長       粕谷不二夫 下水道部長
仲 志津江 こども未来部長      中村俊明  環境クリーン部長
鈴木康夫  危機管理担当理事     桑野博司  財務部長
能登則之  市民経済部長       内藤隆行  保健福祉部長
新堀 祐蔵 街づくり計画部長     沖本 稔  建設部長
澁谷好彦  水道事業管理者      青木直次  水道部長

地方自治体の歳入に対しての人件費比率ランキングで、所沢市は29.74%であり、全国ワースト1位となっています。(2006年度予算ベース)
また、所沢市の債務残高は1,033億円という膨大な額であるにもかかわらず、現在もなお、歳出総額の約30%が市職員の人件費に使われています。
所沢市は約500億円の税収があり、補助金と借金(市債)などを加えた約800億円が所沢が1年間に使える金額です。
800億円のうちの30%、すなわち約240億円が人件費ですから、所沢市単体での税収500億円を分母として計算すると、約50%、すなわち半分が人件費に使われていることになります。
所沢市職員の平均給与が753万円であり、所沢市の財政状況には見合わない、非合理的な高額給与です。
主要先進国における公務員の平均給与は、
イギリス:410万円 ドイツ:355万円 アメリカ:340万円 カナダ:320万円 フランス:310万円 です。
この給与の額でも充分に公共サービスが行えるという合理的な数値です。
「 所沢市の債務残高は1,033億円あります 」
健全な財政状況ではありません。
市職員に支払われている給与・退職金を減額すると共に、共済年金の支給額も減額し、市の債務の減少にあてるべきです

所沢市役所
〒359-8501 埼玉県所沢市並木一丁目1番地の1 電話(代表) :04-2998-1111
財政課 電話番号 04-2998-9030 メールアドレス a9030@city.tokorozawa.saitama.jp
引用:
「傍聴席」 所沢の民主主義をサポートするささやかなメディア…
所沢市の債務残高は1000億円
http://blogs.yahoo.co.jp/tokocitizen_c14/36348376.html
http://blogs.yahoo.co.jp/tokocitizen_c14/37594680.html
http://www.t-kaze.jp/Q&A.html
http://www.t-kaze.jp/kouhou/kaze%20vol,6.pdf
http://www.t-kaze.jp/kouhou/kaze%20vol,5.pdf
http://blog.ishimotoryozo.com/?eid=1218728
http://blog.ishimotoryozo.com/?day=20070413
http://blog.ishimotoryozo.com/?day=20100307
http://gikaikaikaku.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-e656.html
http://ameblo.jp/tokorozawa1000/entry-11448845622.html



 

香田祐一の真実

 投稿者:向井しずか  投稿日:2013年 7月12日(金)23時22分7秒
返信・引用
  反日極左の香田祐一容疑者を外患誘致罪で逮捕せよ。
香田祐一が生きている限り日本経済は良くならない。
 

(無題)

 投稿者:冷麺  投稿日:2013年 4月 8日(月)00時48分31秒
返信・引用
  中国BBSより「日本は北朝鮮に笑われるぞ」(サーチナより)  

人権を尊ぶ社会の創出

 投稿者:  投稿日:2013年 1月 7日(月)12時35分0秒
返信・引用 編集済
  世界各国には、今も少数の極左や極右の過激派が実在しています。
大多数の日韓中の庶民は、極左や極右に所属していないと思います。
大多数の日韓中の庶民は、極左や極右の少数の過激派の行動に一喜一憂することなく、
経済再生と北朝鮮問題(拉致問題と核問題)の解決を望んでいると思います。
日韓中の庶民の私たちも人権を尊ぶ社会の創出を望んでいます。
日韓中の政治家も、人権を尊ぶ社会の創出に頑張ってほしいと期待しています。
 

掲示板に関して

 投稿者:在問研  投稿日:2013年 1月 5日(土)11時07分36秒
返信・引用 編集済
  掲示板への投稿に感謝申し上げます。但し、本掲示板は北朝鮮情報(拉致関連)掲示板でございます。
原則として、北朝鮮情報(拉致関連)に関連しない情報の投稿は、掲示させて頂くことはできません。
恐れ入りますが、投稿者ねこさんの情報は、北朝鮮情報ではなく、また仮説ですね。
まことに恐縮ですが投稿者ねこさんの自主判断で、速やかに投稿記事を削除して頂くことををお願い
申し上げます。尚、投稿者ねこさんの自主判断で投稿記事を削除されない場合は、慣例により投稿日
から一か月以内に当方で削除する慣例になっております。ご了承くださいますようお願い申し上げます。
 

月給は7万6000円のうちの1900円

 投稿者:韓国  投稿日:2012年10月24日(水)07時53分39秒
返信・引用
  最近、中国でも最も豊かな村とされる江蘇省江陰市の華西村を訪れたところ、北朝鮮の女性と出会った。

 取材に訪れた日の午後、北朝鮮の女性約10人は、華西村で最高層の72階建て高級ホテル「竜希国際大酒店」の大型宴会場で公演の練習をしていた。北朝鮮の女性たちはステージで楽器を演奏したり、踊りながら歌ったりした。ステージの下で指導をしていた責任者クラスの女性に何の公演をするのかと尋ねると「客が好む歌や踊りは何でもする」という答えが返ってきた。同ホテルは3億元(約38億円)をかけて作られた、重さ1トンの黄金の牛像で知られ、宿泊料金は最高級の部屋で1泊9万9999元(約127万円)。観光客や大企業の団体客でにぎわっている。

 華西村は暮らしぶりが豊かだが、大都市ではなく農村であり、北朝鮮からも遠い場所だ。中国の主な都市では北朝鮮系のレストランや北朝鮮の女性従業員を見掛けることもあるが、江蘇省の農村に北朝鮮女性が集団で派遣されているというのは珍しいことだ。

 北朝鮮女性が華西村に来たのは、昨年10月に竜希国際大酒店が開業してからだ。同ホテルから北朝鮮に女性の派遣を求めたという。女性に「何人で来たのか」と尋ねると「なぜそんなことを聞くのか」と言って、口をつぐんでしまった。そばにいた村の共産党委員会副書記、趙志栄さんは「34人だ」と耳打ちしてくれた。一部メディアは、北朝鮮の女性たちは同ホテルで公演を行う傍ら、ホテル業務を学んでおり、北朝鮮政府は中国式の農村改革に関心を持っていると伝えたが、事実ではなかった。ホテル関係者は「北朝鮮の女性はレストランで公演したり、給仕をしたりするだけで、ホテルの経営や業務を学んだりはしていない」と話した。

 北朝鮮の女性たちは、公演で北朝鮮の曲だけでなく、中国の曲も歌う。よく歌う北朝鮮の曲は『アリラン』『トラジ』などで、中国の曲では『青蔵高原』『茉莉花』などだという。ホテル従業員は「北朝鮮女性は大半が高官の娘だ。月給は6000元(約7万6000円)以上だが、北朝鮮女性に直接支給されるのは150元(1900円)程度で、残りは北朝鮮政府に払われている」と説明した。

 北朝鮮女性の宿舎は、華西村にある安いホテルだ。3人1部屋で、パソコンはなく、視聴できるチャンネルが制限されたテレビだけが置かれていた。村の共産党委関係者によると、北朝鮮の女性は周辺の商店にせっけんなど日用品を買いにしばしば現れるが、それ以外の外出はほとんどしないという。

 華西村は豊かな中国と貧しい北朝鮮の明暗が分かれる現場だ。中国が改革開放で急成長し、中国と北朝鮮の格差はますます拡大している。数年前に北朝鮮を初めて訪れた中国記者が「北朝鮮の村は中国の文化大革命の時代そのままで驚いた。これ以上の貧しさはなかった。人々は当面の希望もないように見えた」と話していたのを思い出した。豊かな華西村の姿と、遠く北朝鮮からやって来た女性の姿が脳裏で重なり、気分が沈むのを感じた。
 

(無題)

 投稿者:救う会  投稿日:2012年 9月22日(土)10時08分48秒
返信・引用
  ★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2012.09.21)10年を振り返って―曽我ひとみさんの手記(全文)

 曽我ひとみさんが9月20日、帰国して10年を振り返る手記を公表した。曽
我さんは、1978年8月12日に母ミヨシさんとともに佐渡から拉致された。
そして2002年10月15日に蓮池さん夫妻、地村さん夫妻と共に24年ぶり
に帰国した。

 手記では、「この10年という時間の流れの速さ、長さを考えると、自分だけ
が日本に帰ってきたことへの後ろめたさ、申し訳なさで頭の中がいっぱいになる」
とある。帰国した拉致被害者は、すべての拉致被害者が帰国しないと、「申し訳
なさ」が募り、本当の意味での幸せにはなれない。

 A4で9枚の紙に、家族、関係者、友人等多くの人に迎えられたこと、34年
間日本語を使っていなかったため相当期間日本語が出てこなかった苦しさ、家族
の帰国まで日本で待つことの決心、初期癌の発見と手術。もし北朝鮮に戻ってい
たら治療ができただろうか。帰国後、夫の入院中の父の入院、保健師の仕事、家
族の帰国、4人一緒なら乗り越えていけると思ったこと、父の死、夫の家族との
面会、など予測できないことが次々に起こった日々が綴られている。そして未だ
拉致された母に会えない苦しみ、拉致被害者に対しては「決して諦めないこと」
を訴えた。

 すべての拉致被害者が帰国しなければ、帰国した被害者の心も痛み続けている
ことを改めて感じさせる曽我さんの手記。一日も早い解決が必要だ。

■10年を振り返って―曽我ひとみさんの手記

時の流れ ―10年を振り返って―

 「もう10年になるんだなあ」

 年が明けて平成24年になった。その日から何度この言葉をつぶやいたことか。
その度に色んなことが頭の中を駆け巡る。思い出したくないことは鮮明に浮かん
でくる。覚えていたいことは、時間の経過とともにぼんやりとしたものになって
くる。あれやこれやと考えているといたたまれない気持ちになり、同時に胸が締
め付けられじっとしていられなくなる。この10年という時間の流れの速さ、長
さを考えると、自分だけが日本に帰ってきたことへの後ろめたさ、申し訳なさで
頭の中がいっぱいになる。正直なところ、私達5人が帰国し、拉致問題が大きく
クローズアップされたことにより、他の拉致被害者が続々と帰国してくるものと
思っていた。しかしこの10年、これといった成果は見られなかった。拉致被害
者を待つ家族の気持ちを考えると、一日一日がとても貴重な時間であり、もう待
てないところまで来ている。一体どうすれば解決できるのだろうか。誰も答えを
引き出すことなど出来ないのではないだろうか。それほど難しい問題なのだと思
う。でも、今の状態がずっと続くことは許されない。何か解決の糸口が見つかっ
てほしいと願うばかりだ。ここで、この10年を振り返ってみる。

 何から書けばいいだろう。ちょっと思い出してみる。そう、やっぱり最初に思
い出すのは、帰国できた最大の要因となった日本の調査団との面会だろう。平成
14年9月17日、日本の調査団がやってきた。実は、党の幹部から事前に調査
団が来ることを告げられていた。ただ、今までだまされ続けてきたので、本当に
面会できるのか半信半疑だった。私は、党の幹部と指導員と同伴で、面会会場へ
行った。24年間、待ちに待った瞬間が本当にやってきた。夢に見たことが現実
となったのだ。この時の嬉しさをどう表現すればいいのか分からないほど舞い上
がっていた。

 当時はすっかり日本語を話せなくなっていたので、通訳を介してのやりとりが
あった。心の中では、自分が「曽我ひとみ」であることを日本語で叫んでいた。
一つ一つの質問がもどかしい。早く私を「曽我ひとみ」だと認めてほしいと気持
ちが焦っていた。どのくらいの時間が経っただろう。調査団の人達が「曽我ひと
み」本人であると認めてくれたのだ。その時の嬉しさは今も忘れていない。ただ、
残念なこともあった。その面接の時、一枚の写真を見せられた。「誰か分かりま
すか?」と開かれ、「私です」と答えたら相手は不思議そうな顔をしていた。思
いつく人物がいないので、ずっと考え込んでいたら「あなたのお母さんですよ」
と言われた。あんなにも会いたくて会いたくて思い続けた母の顔を忘れていたの
だ。確かに初めて見る写真ではあったが、母の顔を忘れているなんて想像もして
いなかったのだ。あの時の何とも表現し難い衝撃は、その後の幾多の出来事で味
わった衝撃と比較できないほどであった。全身の力が一気に抜けてしまったこと
を今も覚えている。

 その後、日本へ一時帰国することになった。娘たちは、「日本に帰るのに、日
本語話せるの?」「少しでも日本語が話せた方がいいよ。今から少しでもいいか
ら日本語の勉強しなさいよ」と、あれやこれやと世話をやいてくれた。娘たちの
気遣いがとても嬉しかった。とはいえ、「一夜漬けの勉強でどうなるものでもな
い」「日本に行けば何とかなるさ」と、今思えば、かなり肝が据わっていたよう
だ。出発の日、空港まで夫と娘たちが見送りに来てくれた。「いよいよ、日本へ
帰れる」。心の中では、飛び上がるほどの嬉しさがこみ上げていた。でも半面、
不安もあった。佐渡の家族は、親戚や友人は、私を覚えているだろうか?。私を
受け入れてくれるだろうか?。いろんな思いが頭をぐるぐる駆け巡っていた。つ
いに飛び立った。

 平成14年10月15日、24年ぶりに帰ってくることができた日本。着陸態
勢に入った。窓から見える空港の景色。なぜか大勢の人達が見える。私たちの他
に誰か有名人でも出迎えにきているのだろうか。軽い気持ちでいた。ところが、
タラップへ出てきたらびっくりした。あの窓から見えた人達は、私達5人を出迎
えるため集まっていたのだった。日本では、拉致問題がとてつもなく大きな出来
事なのだと、このとき初めて知った。ただ私自身は、自分の国へ帰ってきただけ
なのに、という単純な思いしかなかった。出迎えの人達は口々に「お帰りなさい」
と言っている。知らない人達ばかりだった。

 必死に家族を探した。妹の姿が見えた。お互いに駆け寄り抱き合った。嬉しく
て涙が止まらない。でも、話が出来ない。いっぱい、いっぱい話したいことがあ
るのに、言葉が出てこない。もどかしくて、自分でもどうしたらいいのか分から
なくなっていた。会話もままならない状態でホテルへ着いた。

 部屋に入って一息ついていたら、政府関係者が訪ねてきた。「この後、被害者
全員で会見があります。その場で一言でいいので、話をしてください」と言う。
「妹とさえまともに話ができないのに、一言でいいから何かを言えとは…」と途
方にくれた。必死に言葉を探した。「会いたかったです」の言葉が浮かんできた。
部屋の中で何度も何度も声を出して練習した。私にはやっとひねり出した日本語
だったのだ。会見場にいた人やテレビを見ていた人たちには、何か物足りないと
感じたかもしれないが、私には清水の舞台から飛び降りる気持ちで発した日本語
だったのだ。言った後、ドキドキした胸のつかえが一気に取れた気がした。会見
が終わればゆっくりできるかと思っていたが、なかなか一人になる時間を与えて
もらえなかった。東京滞在中は、家族会の人たちや政府関係者との面会が続き、
日本に帰ってきた感動を味わうどころではなかった。

 10月17日、佐渡へ帰ってきた。新潟から飛行機で20分余りのフライトだっ
たが、窓から見える佐渡島は、何も変わっていないように見えた。島影が見えた
途端、胸が詰まり涙が自然にこぼれてきた。到着するまでの間、ずっと泣きっぱ
なしだった。マイクロバスに乗り込み、真野町(現・佐渡市)役場に向かった。

 車窓から見える佐渡の風景は、私がいたころと随分変わっていた。道路は広く
なり全て舗装され、街灯もたくさんついている。家並みも整い、きれいな家がいっ
ぱいあった。自動車もたくさん走っていて、ここが本当に佐渡なのだろうかと目
を疑うような変化に驚いたことを思い出す。役場に着いた。玄関先で大勢の人達
が出迎えている。町長はじめ役場の職員、議員、そして同級生たち。同級生は、
みんなそれなりに年を取っていたが、一人ひとり誰なのか名前を言わなくても分
かった。ただ、相変わらず日本語が出ない。同級生の言葉にただ頷くしかなかっ
た。言葉を交わさなくても、みんなが私を忘れていなかったことがすごく嬉しかっ
た。ゆっくりすることもなく、四日町の集落センターへ。

 挨拶もそこそこに、自宅へ向かった。マイクロを降りると父が足を引きずりな
がら駆け寄ってきた。私も小走りに駆け寄り抱き合って泣いた。ただ、謝ること
しかできなかった。死んだと思っていた娘が帰ってきたのだ。父も私の姿を見る
までは信じられない思いだったはずだ。お互い多くを語らなくても嬉しさが伝わっ
ていた。それにしても、本当に久しぶりの父の佐渡弁が耳に心地よく響いた。ほ
んの少しではあるが、日本語が甦ってきて、片言だけど話をすることができた。

 親戚の人も近所の人も集まっていた。みんな泣いていた。温かく迎えてくれた
ことが本当に嬉しくて、「やっぱり故郷はいいなあ、帰ってきて良かった」と心
の中でつぶやいていた。でも、嬉しい半面、悲しい気持ちもあった。その場に母
の姿がないことだった。調査団の人に、「佐渡にお母さんはいません」と言われ
ていたが、信じることができないでいた。タラップを降りるときも、もしかして
迎えにきてくれているかもしれないと僅かな望みを抱いていた。だけど、やっぱ
り母はどこにもいなかった。

 辛い現実をつきつけられた思いと、それを受け入れなければならないと自分に
言い聞かせながら、やっぱり否定する自分がいて、その狭間での葛藤は苦しいだ
けだった。その夜は、疲れているはずなのだが、興奮していてなかなか寝付けな
かったことを思い出す。それにしても、次の日からあんなに忙しくなるなど想像
もしていなかったので、今思えばよくあれだけの日程をこなしてきたものだと感
心している。

 18日、墓参りに行き、午後からは高校の卒業証書授与式に出席した。卒業ま
で半年あまりとなった年に拉致されたのだ。心残りとなっていた問題の一つが解
決された喜びがあった。半面、本音を言うと40歳を過ぎて賞状を受け取るのは
恥ずかしかった。でも、私一人のために式を用意してくれたことが嬉しく、みん
なと同じ卒業生になれたことも最大の喜びだった。関係者のみんなに心から感謝
した。

 式の後は同級会があり、24年ぶりに同級生たちに再会した。みんながそれぞ
れの24年を過ごしたんだなぁと、一人一人の顔や姿を見て思った。それは、2
1日参加した小中学校の同級会でも同様の感想であった。中には、「あの人誰だっ
け?」と、名前と顔の一致しない同級生もいた。月日の流れは人の記憶を曖昧に
するものだと実感した。でも、やっぱり友達というのは良い。会えば一瞬で過去
の自分に戻してくれる。友達の存在は、過去も現在も私の宝だと思っている。

 そうそう、23日の佐渡病院訪問でも嬉しいことがあった。24年間、被るこ
とがなかったナースキャップを着けてもらったことだ。自分の一生の仕事だと思
い、勤務し始めた矢先の出来事だっただけに、中途半端で投げ出したことに責任
を感じていたが、ナースキャップを頭に載せられた時は、看護師に戻った気分に
なり嬉しかった。

 日本滞在中は、毎日忙しかったが充実していた。北へ帰る時間が迫れば迫るほ
ど、故郷への思い、家族、親せき、友人たちへの思いが捨てきれずに心が痛んだ。
かといって、北にいる夫や娘たちへの思いも募る。両方の国にいる愛する人たち
の狭間で体が二つあったらどんなにいいかと何度も思った。

 そんな折、「拉致被害者5人を北へ帰さない」との政府方針が発表となった。
一時帰国と思っていた私は、着々と帰る支度をしていたのだ。正直ショックだっ
た。「北に逆らえば、家族はどうなるのか?」。そのことばかりが頭の中をぐる
ぐる駆け巡る。24年間、逆らうことなく言うがままにしていたから、私は生き
延びてこられたのだと確信していた。それなのに、北へ逆らえと日本政府は言う
のだ。私の返事次第で家族の処遇が決まると思い込んでいた私は、どうすること
も出来ず悩む毎日だった。

 返事を出せないまま数日が過ぎた時のことだった。日本滞在中に健康診断でも
受けたらとのアドバイスもあり、特に悪いところはなかったのだが、せっかくな
ので人間ドックを受けることにした。その時、先生から「ちょっと肺に気になる
ものがあります。まだほんの小さな粒程度ですが、もし時間が経って大きくなる
ようなら手術した方がいいと思います。まずは、1年くらい様子を見ましよう」
と言われた。

 私は、すぐに「肺がん」だと確信した。なぜなら、北にいたときドイナ(同じ
建物に住んでいたルーマニア人拉致被害者)が肺がんで亡くなっていた。初期の
症状からずっと見ていた私には、肺に何かがあるというだけで、理解することが
できたのだ。精密検査をするため組織を取ったが、ほぼ間違いなく悪性だろうと
思われた。怖くなった。目の前に「死」が迫っていると感じた。だが、先生が
「ほんの初期ですから心配いらないですよ」と言ってくれたので安心できた。こ
れが北朝鮮だったら、私は確実に死んでいただろう。ドイナのように、死ぬ直前
まで故郷を思い、二度と故郷の土を踏むことが叶わなかっただろう。未練を残し
たまま死ぬことを考えたら、日本に帰れたことを感謝した。

数日後、いろんな悩みを抱えた状態で、北へ帰るか日本に留まるかの結論を出
す時がきた。これまでに、たくさんの人たちが私を説得しに来た。一人で結論を
出すのが怖かった。家族の安全が保障されるならすぐにでも返事をしただろう。
でも確信のないものに返事はできなかったのだ。両方にいる家族への思い、自分
の病気のこと、日本政府を信じてもいいのか、眠れない日々を送りやっとの思い
で結論を出した。「日本に留まり、家族を待つ」と決めた。結局、帰国した5人
ともに同じ結論を出したのだった。

 5人が日本に残るということは、私にとって少しでも励みになることだった。
でも、私以外は夫婦で帰国している。何かと相談できる相手がいるということだ。
私には何でも話せる相手がいない。これは、家族を取り戻すまでの間、かなりこ
たえた。毎日どこかへ誰かと出かける。この時間は気を紛らすことができたが、
帰宅した後は何とも言えない孤独感に見舞われた。「本当にこの選択でよかった
のか?」「夫や娘たちは、本当に無事でいるのだろうか?」と心配する毎日だっ
た。ただ、時間の経過とともに、いろいろと世話を焼いてくれる人が現れ、北の
家族の情報が嬉しくない形で入ってくることもあった。今思い出しても、あの時
が一番苦しい時だったように思う。

 辛い日々を過ごしながら、手術の日が迫っていた。実は、私の病気は非公表で
あったため、当時の真野町役場に箝口令が敷かれていた。マスコミの目を盗み、
ひそかに東京へ。誰にも気づかれないよう偽装工作をし、入院することに成功し
た。その後、手術も無事終わりこのまま秘密を維持したまま佐渡で何食わぬ顔を
して普段通りの生活に戻ればいいのだと考えていた。

 ところがこの秘密が、あっという間にバレてしまうのである。当時の関係者が
マスコミに話してしまったのだ。さあ、この話を聞いたマスコミは怒り心頭であ
る。役場の支援室とマスコミとの信頼関係はぶち壊しとなり、当時の支援室長は
窮地に立たされ、結局、町長筆頭にマスコミに謝罪することになってしまった。
私の知らないところで、大変な事態となっていたのだ。後日、この話を聞いたと
きはすでに笑い話となっていたので安心して聞くことができた。当時の支援室長
の人柄もあったのだが、私に心配の種を残さないようにしてくれていたのだなと
感じた。私にとっては、とても心強い味方であった。今ももちろんのこと、これ
から先も感謝の気持ちを忘れることはないだろう。

  佐渡での生活を始めてから、何かと忙しい日々を送っていたある時、「旦那
さんや娘さんたちが帰ってきたら、佐渡では車がないと不便だよ。免許取ったら
どう?」と勧められた。家族が帰ってきたら自分が生活の中心となる。確かにそ
うだった。当時は、どこへ行くにも送迎付きだったが、正直自分が出かけたい時
に勝手に出かけることは出来なかった。いつまでも人を頼ってばかりではいけな
いと思い、自動車学校へ行くことを決めた。

 免許取得までにはスケジュールを調整したり手術があったりと少し時間はかかっ
たが、免許証を手にすることができた。嬉しかった。夫や子供たちが帰ってきた
ら、買い物はもちろんのこと、どこへ連れて行こうかと考えるのが楽しかった。
早く運転が上手になることと、佐渡の道路になれるために、頻繁に車で出かける
ようにした。今だから暴露するが、初心者マークは4~5年つけたままにしてお
いた。運転に自信がなかったことから、対向車や後ろについた運転者が気をつけ
てくれるだろうと思ったのだ。おかげで大きな事故もなく、(車の擦り傷、打撲
はあったが)現在まで運転できている。

 そんなある日、役場から「一通りのスケジュールも終了したこと、佐渡での生
活にもだいぶ慣れてきたことから、少し仕事でもしてみないか」と言われた。確
かに、今後についての見通しは立っていなかった。准看護師の資格だけでは、医
療現場に戻ることもできない。かといって、それ以外の仕事を経験したこともな
い。普通の会社員として働くにしても、24年のブランクが大きすぎてちゃんと
仕事をこなせる自信がなかった。

 それでも何か仕事はしたいと思っていた。役場からは「役場で保健師の助手と
してどうか」とのことだったので了承した。一つ一つ丁寧に指導してくれた保健
師や職員の温かい対応に、仕事をするのが楽しいと感じるようになっていった。
そんな中、母を中心とする拉致被害者救出の大集会を島内で開催することとなっ
た。救う会全国協議会、家族会の主だった方たちが出席してくれた。また、国会
議員や議連、全国の救う会の会長など、本当にたくさんの人たちが参加してくれ
た。島民大集会をやってよかったと思った。母への思いは、この後まとめて書く
つもりでいるのでここでは触れない。

 年が明けた平成16年、「今年こそは事態が進展し、家族が帰ってくるように」
と地元の神社へ初詣にいった。昨年も行ったが、何の動きもなかったのだ。頻繁
に日朝協議を行っているようではあったが、嬉しい知らせはなかった。毎日淡々
と仕事をした。仕事をしている時だけは、何も考えなくてよかったからだ。下手
に期待を持つと裏切られた時、立ち直るまでに時間がかかる。北にいた24年間
で数えきれないほど経験したのだ。だから期待は半分で毎日を過ごしていた。そ
んな時である。国から「小泉首相が、2回目の訪朝をする」とのニュースが飛び
込んできた。正直驚いたし、嬉しかった。家族を取り戻すという私たち被害者の
声を受け止め、行動に移そうとしていたのだ。政府の真剣に取り組む姿勢に、半
分の期待が、十分の期待に変わっていった。

 8月23日、佐渡へ向かった。佐渡へ行くことが決まってから娘たちは、「佐
渡ってどんなところだ」とまたまた質問攻めだった。想像を巡らせていた佐渡を
実際の目で見ることとなった。佐渡に着き、市役所経由で病院へ直行した。初め
て見るじいちゃん、初めて見る孫、お互い戸惑っていた。言葉も通じないから、
私が通訳した。娘たちが覚えたての日本語で書いた見舞いの手紙を持参していた。
上手なことを言えない父であるが、孫からの手紙は嬉しかったようである。薬も
効いているおかげで、見た目はとても元気だった。相変わらずの佐渡弁に、娘た
ちは「初めて聞く言葉だ。あれが日本語か?」と違う国へ来たような感じがした
らしい。確かに、父の佐渡弁は独特であり、通訳が必要だった。父の言葉を標準
語に直したり、朝鮮語にしたりと通訳した私も頭の中が混乱しそうになった。

 この時は、入院間際だったこと、病状も安定していたこともあり、3日間の滞
在で再び上京した。この一時帰郷ですっかり佐渡が気に入った娘たちは、すぐに
でも佐渡に住みたいといい、次はいつ戻れるのかと、しきりに聞いてきた。一日
も早く佐渡へ帰れるに越したことはないと、私自身も定住する日が来るのを楽し
みにしていた。

 上京して間もなく夫はキャンプ座間へ出頭することとなった。これより米軍の
指揮下に置かれ、軍法会議に臨むこととなる。処遇が決定するまで時間があると
いうことで、日米関係者の許可を得て再び佐渡へ戻ることになった。約1か月余
りであったが、私も娘たちも充実した佐渡生活を送ることができた。父も私たち
が見舞いに来るのを楽しみに待つようになり、次の見舞いには「あれがほしい、
これが食べたい」と少しだけ甘えるようになった。でも、私には嬉しいことだっ
た。母と私がいなくなってからずっと一人で生きたのだから、これからは親孝行
しなくてはと思っていた。だから、少々のわがままも聞いてやろうと思っていた
からだ。そんな父も翌年2月に永眠した。

 亡くなる間際まで、「今度は、母ちゃんが帰ってくる。飛行機に乗って帰って
くる」「母ちゃんが帰ってきたら、謝りたい」と口癖のように言っていた父の顔
を今でも忘れられない。結局、母とは永遠に会えないままこの世を去った。ただ、
私の家族に会わせることができたこと、最後まで父のそばにいられたことで、父
も少しは幸せを感じでくれただろうと思っている。

 12月7日、念願だった家族揃っての佐渡入りとなった。この日から新しいス
タートを切ることになった。娘たちも将来のことを考え、進学することになった。
夫も家でじっとしているのが嫌だというので、就職先を探すことになった。

 年が明けた平成17年、夫のお母さんに会いに行くことが決定した。90歳を
過ぎているが健在だと聞いていたからだ。「もし、北朝鮮を脱出することができ
たら、絶対会いに行くべきだ」と話していた。6月、家族全員でアメリカへ行っ
た。10日足らずではあったが、夫も母親に会えて嬉しそうであった。義母もま
た、40年以上行方不明となっていた息子に会えて顔をくしゃくしゃにして喜ん
でくれた。夫もまた親孝行をすることができたのだ。そんな姿を見て、母と重ね
合わせていた。「母にも私の家族を会わせてあげたい」とさらに思いを強くした。
この再会から3年後、義母は夫を含む息子、娘たちに看取られながら永眠した。
心配し続けた息子に会えたことで、肩の荷を下ろすことができたのだろうと思っ
ている。

 アメリカから帰って来て、いつもの生活に戻った。日中は仕事に集中している
が、自宅に帰り一人になる時間ができると、決まって母のことを思い出すように
なった。義母の姿と重なるのだ。足腰が弱り、介助が必要となっているのではな
いか。寝たきりで不自由を感じているのではないか、と悪いことばかりが頭の中
をよぎる。その思いを打ち消すために、拉致される前の母の顔を思い浮かべる。
いつもにこにこと優しい笑顔で、私たち姉妹の面倒を見てくれた大好きな母の姿
だ。考えてみれば、19年間いつも傍らにいてくれた。こんなに長い間、離れ離
れになったことはなかったのだ。何でこうなってしまったのか。どうして私たち
母娘が拉致の標的になってしまったのか。どんなに考えても答えは出てこない。

 日本に帰国して以来、ずっとこんな答えの出ない自問自答を繰り返している。
どこをどうしたら、こんな残酷な運命になるのか。時々、どうしようもなく大声
で叫びたくなる。「母を返して」「私の24年間を返して」と。でも、その度に
「過去は変えられない、元に戻すことはできないのだ」と、落ち込みながら頭を
冷やす。そしてまた、自分だけが帰国したことを責める。いつまでこんなことが
続くのだろう。終わりが見えない。

 母と離れ離れになって間もなく34年になる。つい最近、母の夢を見た。ここ
数年、母は夢にも現れてくれなかったのだ。目が覚めると、胸がドキドキしてい
た。でも、母が元気な姿で現れたので、ホッとしたことを今でも鮮明に記憶して
いる。偶然にも私の誕生日だった。きっと、私に「おめでとう」を言いたくて現
れたのだろうと良い方に考えている。

 拉致される前の母の姿だった。何も変わっていなかった。「母ちゃん、夢に出
てきてくれて、ありがとう」「私は元気だから、心配しないでね」「母ちゃんは、
元気にしているの?どこか悪いとこはないの?」「また、夢に出てきてくれる?」
「本当は、会いたいよ」と私は語りかける。でも返事はない。母の顔を思い出し
ながら、涙が自然とこぼれる。きっと、母も私と同じくらい涙を流しているのだ
ろうと想像する。すると、もっと胸が詰まり、苦しくなる。今、この手記を書き
ながら、母を思い涙が止まらない。

 誰でもいい、母の行方を教えてほしい。あの日以来、母のことを一時も忘れた
ことはない。私と母が拉致されたことは事実なのだ。それなのに、どうして母だ
けが行方知れずのままなのだ。今この瞬間も母のことを考えるといたたまれない。
何かしなくてはいけないという衝動に駆られる。小さいことかも知れないが、こ
こ数年ずっと地元での署名活動に参加してきた。佐渡という限られた地域の中で
の活動ではあるが、快く署名してくれる人がたくさんいる。また、この署名活動
のために忙しい中でも協力してくれる、地元の救う会の会員のみんなにも本当に
感謝している。

 そして最後に、これだけは言いたい。政府をはじめとする日本人みんなが力を
合わせ、未だ帰れない拉致被害者を必ず取り返してほしい。最後の一人までも残
らず日本の地を踏ませてほしい。私が24年間思い続けたことは、ただ一つだけ、
「絶対、生きて日本に帰る。絶対、諦めない」との執念だ。同じ思いを抱いてい
る被害者がたくさんいるはずだ。「今日こそは、私を助けに来てくれる」と信じ
て待ち続けている人がいるはずだ。だから、すぐにでも助けに行ってほしい。本
当にもう残された時間が僅かになった人もいるはずだ。

 拉致されて以来、毎日泣き暮らしている人がどれほどいるだろうか。北にいる
以上、個人の力では何も出来ないのだ。いつまで待っても、誰も助けに来てくれ
ない。自分を探してくれる人は誰もいないのだろうかと、諦めてしまった人もい
るかも知れない。気の狂いそうな毎日を過ごしている人のことを考えると、当時
の自分と重なってしまう。声にならない声を拾い上げてほしい。それから、北に
いる拉致被害者の人たちに言いたい。「決して諦めないこと。信じて待っていれ
ば、必ずあなた方を助けに行く人がいるはず。だから、もう少し耐えてください」
と。

 今、私が日本で生活できているのは、まさに、日本政府をはじめとする日本国
民みなさんの力の結集のおかげだと思っています。少しでも恩返しが出来ればと
思い、様々な活動をしています。帰国できずにいる被害者のみなさんのことを思
い、そしてまた、この拉致問題を風化させないため、今年は特に署名活動をはじ
めとし、国民集会、県民集会、地元での講演活動など積極的に行っています。一
人の力は知れたものですが、これがたくさん集まれば大きな力となります。絶対、
みなさんは帰って来れます。必ず助けに行くから、諦めることだけはしないでく
ださい。

 拉致問題が全面解決するまで、活動は続きます。国民の皆様、これからもご支
援、ご協力をよろしくお願いします。

曽我ひとみ

 

(無題)

 投稿者:救う会  投稿日:2012年 9月17日(月)18時15分29秒
返信・引用
  ★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2012.09.17)嘘をついているのは北朝鮮だー朝鮮中央通信に反論する家族会・救う会緊急声明


■ 嘘をついているのは北朝鮮だー朝鮮中央通信に反論する家族会・救う会緊急声明

 本日は、北朝鮮が拉致を認めて謝罪して10年になる日だ。しかし、彼らは
それまでの拉致はでっち上げという嘘の代わりに「拉致したのは13人だけ、
うち8人は死亡したから拉致は解決した」という新たな嘘をついた。しかし、
13人以外に認定被害者4人をはじめ多数の拉致被害者が存在することは明々
白々だし、8人死亡について一つも証拠を出すことが出来なかった。

 そこで日本政府と国民は、拉致被害者は生きている、全ての被害者を即
時返せと当然のことを北朝鮮に対して要求している。今から4年前、彼ら
も拉致は解決済みとの立場を取り下げ、調査やり直し実施を約束したこと
もあった。ところが、本日、朝鮮中央通信は論評を出して
〈日本の反共和国敵対勢力はすでに全て解決された「拉致問題」を執拗に持ち出し〉
〈「拉致問題」が最終的に解決されたにもかかわらず新しい「拉致資料」を考案し続け〉
〈「救う会」のような有象無象の生計を維持することができるようになったのが今日の日本の現実だ〉
と主張した。

 この間私たちは北朝鮮内部から様々な情報を入手し、被害者が生存して
いるという具体的な証拠を入手してきた。その一部を公開してきたことを
彼らは気にかけて、〈新しい「拉致資料」〉云々と言っているのだろう。
解決したというなら被害者全員に関する正確な資料を北朝鮮が出すべきだ。
それがなされない限り、今後も新しい「拉致資料」を入手し、拉致問題は
解決していないという事実を内外に訴えることを通じて、北朝鮮の嘘を暴
いていく。このまま彼らが嘘をつき続けるなら制裁を強めざるを得ない。

 いまも助けを待っている被害者全員を助け出すため、これからも北朝鮮
の嘘と全力で戦い続けていくことを誓う。

平成24年9月17日

北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表 飯塚繁雄
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長 西岡力


 

万景峰号の再就航阻止

 投稿者:  投稿日:2012年 9月 7日(金)05時17分7秒
返信・引用
  北朝鮮を延命させた万景峰号の再就航のため、

朝総連だけでなく北朝鮮が本格的に動く。

北朝鮮が日朝協議を開く秘められた目的だ。
 

総連本部差し押さえで対北送金の闇暴け

 投稿者:救う会  投稿日:2012年 7月 6日(金)15時37分32秒
返信・引用
  東京基督教大学教授・西岡力


 この6月27日、朝鮮総連中央本部の土地と建物を、日本政府機関である整理
回収機構(RCC)が差し押さえることを可能にする決定を最高裁が下した。約
20年間にわたり、総連が多額の不法送金をしていると告発してきた専門家の一
人として、感慨が深い。

 ≪対総連融資627億円の行方≫

 経緯をおさらいしておきたい。総連は破綻した朝銀信用組合から少なくとも6
27億円を借りたまま返していない。信組の破綻に伴い約1兆4千億円の公的資
金が使われた。その際、各信組からの不良債権を引き受けたRCCが、個人・団
体向けの融資の流れについて調査したところ、不良債権1810億円のうち、一
部の個人や団体向けとされていた融資約627億円(394件)が、「名義貸し」
や「仮名」などによる総連への融資であることが判明した。これらの融資が総連
への融資であることは総連も認めている。

 2005年、時の安倍晋三官房長官の政治的指導力の下、RCCは総連中央を
相手に借金の返還を求める民事訴訟を提起した。それまでの自民党政治家と総連
との不明朗な関係からすると、考えられない毅然たる対応だった。安倍氏自身、
「サヨクの人だけでなく、信じられないような保守派の大物議員からも『追及は
やめろ』と言われた」と述懐している。

 07年6月にRCCは勝訴する。それでも、総連は借金を返さず開き直ったの
で、RCCは総連中央本部の土地建物を差し押さえようとした。その過程で、総
連は元公安調査庁長官の緒方重威氏を登場させ、中央本部を形式的に売却しよう
として失敗した。公安調査庁は、破壊活動防止法に基づき総連の活動を監視して
いる治安組織だ。そのトップが総連側に立って暗躍するのだから、彼らの政治工
作の力は侮りがたい。

 その後も、総連は登記上、中央本部の土地建物を所有しているのは合資会社、
朝鮮中央会館管理会だとして差し押さえを妨害した。最高裁判決は、中央本部を
実質的に総連の資産と認め、差し押さえできるようにしたものだ。

 ≪北への資金流出今も変わらず≫

 だが、総連は、借金を返還せず差し押さえも妨害しながら、いまだに北朝鮮に
カネを運んでいる。昨年12月から4月までの5カ月の間に毎月1回以上、副議
長らを団長とする訪朝団を送り、届け出ベースだけで、3億7千万円以上を北朝
鮮に持ち込んでいる。

 総連の不法送金が本格化するのは1970年代からである。北朝鮮は、日本を
含む西側諸国から多額のプラント輸入を行って代金を払えなくなり、国家破産に
直面する。その時、北朝鮮は政府管轄の社会主義計画経済の枠外に、金正日氏直
轄の秘密資金管理部門(朝鮮労働党39号室)を設け、その資金を使って毎年、
日成、正日の金父子と特権階層向けの贅沢(ぜいたく)品を輸入する一方、核ミ
サイル開発、対南政治工作などを続けてきた。

 39号室向けの外貨の調達先となった一つが総連だった。筆者らは90年代初
め、北朝鮮の核開発を止めるには財源である総連からの不法送金を断てと主張し
た。当時、内閣調査室が日銀の査察結果などを使って調査したところ、実に年間
1800億~2000億円が北朝鮮に送られていた。羽田孜外相が93年12月
に、日本記者クラブで確認したところである。

 ≪組織ぐるみの「脱税」だ≫

 総連の不法送金にはいくつかの手口があった。第一が、組織ぐるみの「脱税」
だ。紙幅の関係で詳論は拙著『テロ国家・北朝鮮に騙されるな』などに譲るが、
総連は国税庁との5項目合意を結んだとして組織ぐるみで「脱税」し、浮いたカ
ネを献金させていた。

 76年に社会党の高沢寅男衆院議員の仲介で国税庁幹部と交渉し、「朝鮮商工
人との総ての税金問題は、朝鮮商工会と協議して解決する」などとする5項目の
合意を結んだとして、税務署で税金を値切ってきた。92年1月14日付朝鮮商
工新聞は堂々と、「(朝鮮商工会は昨年)また同胞商工人たちの税金問題を円満
に解決し、日本当局との『団体交渉権』をより強固にしました」と書いている。

 第二が朝銀信組を使った資金作りである。朝銀信組が地方本部や民族学校など
を担保に、ダミーのペーパー会社や個人に対して多額の融資を行い、その資金を
北朝鮮に送るなどといった手法だ。その結果として、融資は焦げ付き、朝銀信組
は破綻するのだが、善意の預金者を守るという建前によって公的資金が投入され、
融資の焦げ付き部分は補填される。

 バブルの崩壊後、破綻した金融機関には巨額の公的資金が注入された。その際、
不良債権の借り手について刑事、民事の両面から厳しい追及がなされた。それに
比べると、627億円もの借金を未返済のまま開き直っている総連に対する追及
は極めて甘い。事の本質は、北朝鮮の独裁体制が総連を使い、悪意を持って日本
の法秩序を破り、多額の資金を得てきた不法送金の全体構造にある。だが、その
ことを論じる者は少なく、大きな闇はまだ晴れていない。(にしおか つとむ)
 

北軍政の脅迫

 投稿者:  投稿日:2012年 6月12日(火)10時47分9秒
返信・引用
  北朝鮮は11日、かつて訪朝したことがある与党セヌリ党の大統領選有力候補、朴槿恵、鄭夢準元代表や、金文洙京畿道知事について「必要なら南側の元・現職当局者や国会議員が平壌に来て行ったあらゆること、活動、発言を全て公開できる」と主張した。

 北朝鮮の労働党統一戦線部の傘下にある対韓国宣伝機関「祖国平和統一委員会」(祖平統)の書記局は11日、李明博政権やセヌリ党を相手にした「公開質問状」で「現在の大統領府(青瓦台)や行政府、セヌリ党内にも、われわれと内々に関係がある人物が大勢いるのに、従北(北朝鮮に追従する)と騒いで面目が保てるのか」という趣旨の主張を行った。

 祖平統は、朴槿恵元代表について「(2002年5月の訪朝当時)偉大なる将軍様(故・金正日総書記と接見し、主体思想塔や万景台学生少年宮殿をはじめ、平壌市内を見学して、親北発言を少なからず行った」と主張し、続けて「鄭夢準、金文洙両氏がこちらに来て行った発言を全て公開したら、南朝鮮(韓国)の人々は皆気絶することになるだろう」とも主張した。さらに祖平統は、かつて秘密裏に訪朝した李厚洛中央情報部長、張世東、徐東権国家安全企画部長に言及し「秘密の特使を平壌に送ってわれわれと内々に接触し、われわれの革命聖地を見て回り、献上品まで持ってきた歴代の統治者どもは、従北ではないのか」と主張した。

 これに対し、朴元代表側は「02年の訪朝で従北発言を行ったことはない。北朝鮮は、公開できるのなら直ちに公開せよ」と語った。また金知事側は「08年の訪朝時、北朝鮮側に“新羅の敬順王のように降伏するのか、中国のトウ小平のように政治・経済を切り離すのか、選択すべき”と言った」と話した。さらに鄭元代表側は「北朝鮮は、大統領選挙を前にして韓国の政治に介入するための、露骨な脅迫を中止せよ」と語った。北朝鮮専門家らは「北朝鮮は韓国の大統領選挙に正面から介入するつもりだという信号弾」と分析した。また、ソン・グァンジュ京畿開発研究院先任研究委員は「北朝鮮が、守勢に回っている韓国国内の従北勢力に向けて“君たちの闘争は孤独なものではない”というメッセージを投げ掛けている」と語った。
 

韓国の北軍政工作組織

 投稿者:  投稿日:2012年 6月12日(火)10時35分44秒
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  金正日総書記が死去して100日目(3月5日)に無断で北朝鮮を訪問し、すでに11週間にわたり北朝鮮に滞在している「祖国統一汎民族連合(汎民連)」南側(韓国側)本部の盧修熙(ノ・スヒ)副議長が5日、北朝鮮側から板門店を訪問していたことが明らかになった。

朝鮮中央通信は7日「(盧修熙副議長は)4日から7日まで板門閣、停戦協定調印場などを参観し、軍事境界線の南側に建設されたコンクリートの壁を視察した」と報じた。北朝鮮が公表した写真の中には、盧副議長がグレーの人民服姿で板門閣2階の欄干近くに立ち、朝鮮人民軍の将校と言葉を交わしながら韓国側を凝視する様子を映したものも含まれていた。


 盧副議長は統一部(省に相当)の承認を受けずに北朝鮮に入り、3月25日には金日成広場に掲げられた故・金正日総書記の大型肖像画の前に「偉大な領導者・金正日同志は永遠にわれわれと共にいらっしゃる」と書かれた造花をささげた。3月26日には故・金日成主席の生家である平壌市内の万景台を訪れ、芳名録に「国葬の最中に反人倫的蛮行を行った李明博政権に代わり、祖国人民からの謝罪を万景台に丁重にささげます」と書き込み、同日平壌の凱旋門では「ああ、その名も光り輝く金日成将軍様」という歌詞の「金日成将軍の歌」を歌った。


 盧副議長は無断で訪朝する11日前の3月13日、国会貴賓食堂で開催された野党連帯共同宣言行事に出席し、韓明淑民主統合党代表(当時)や李正姫統合進歩党代表(当時)らと共に記念撮影に臨んだ。


 公安当局によると盧副議長は現在68歳で、30台後半だった1980年代からソウル市鍾路区にある世運商店街で露天商を営んでいた。80年代後半に反政府デモの中心勢力だった全国露天商連合会の幹部となり、労働運動に飛び込んだ。93年にはNL(民族解放・汎主体思想)系の運動圏(左翼系学生運動)団体が結集した全国連合傘下のソウル連合共同議長に就任。集会やデモの現場で大活躍を見せ一躍有名になった。

 故・金日成主席の指令を受けて結成された汎民連南側本部とは、1991年1月の結成準備委員会当時から関係があった。当時、全国露天商連合会副会長だった盧副議長は、ある日刊紙に掲載された同準備委員会の広告を見て自ら準備委に出向き、「統一運動に加わりたい」と申し出て準備委員の一員に加わったとされている。その後は2005年に汎民連ソウル連合議長に就任すると同時に南側本部副議長を兼任し、イ・ギュジェ南側本部議長が昨年12月に国家保安法違反容疑で拘束されると、南側本部議長代行に就任した。公安関係者によると「集示法(集会およびデモに関する法律)違反や特殊公務執行妨害罪など、前科は19犯に上る」という。
 

北軍政のスパイ2名が逮捕

 投稿者:  投稿日:2012年 6月 9日(土)08時15分6秒
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  ウクライナのセコツナヤ新聞は、北朝鮮貿易代表部の職員の2名がスパイ容疑で 8年の懲役刑を宣告されたと報道した。

2名は、ミサイル発射の技術、特に 射程距離を飛躍的に延ばす液体燃料エンジン・システムに関する資料を確保しょうとしたことされる。

専門家は「彼らが北軍政工作員が意図する資料を入手していれば、北軍政が米国本土に到達する長距離弾道ミサイル技術を確保していた」と指摘していた。
 

緊迫する韓半島情勢、

 投稿者:  投稿日:2012年 6月 4日(月)10時29分6秒
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  韓米両国が現在300キロの韓国の弾道ミサイル射程距離を550キロに増やすことで合意した。京畿道(キョンギド)や江原道(カンウォンド)の前方から発射すれば、北西側の新義州(シンウィジュ)と北東側の羅先(羅津・先鋒)をはじめ、北朝鮮全域が射程圏内に入る距離だ。

韓国政府当局者は3日、「米国は現在の射程距離を維持すべきだという立場だったが、北朝鮮のミサイル能力拡大に対応するため550キロに増やすことにした」と述べた。また「当初、韓国政府は1000キロに増やそうと提案したが、米国との折衝した末、このように調整された」と説明した。

本来は南部地域から発射しても韓半島全域に到達するレベルに射程距離を増やすべきだというのが韓国政府の立場だった。これに対し米国側が消極的な反応を見せると、韓国側は中部圏から北朝鮮後方のミサイル基地などを攻撃するには800キロ程度は必要だという修正案を提示した。韓米両国はこれに一時合意する雰囲気だったが、中国とロシアの一部の地域が射程圏内に含まれるという理由で米国が拒否したという。結局、韓国側が最初に要求した射程距離の半分レベルで折衝した。

匿名を求めた国策研究機関のある専門家は「前方から発射しなければならないという不便はあるが、北朝鮮のミサイルや核攻撃を事前に防げる手段が確保されることになった」と述べた。

軍は射程距離1500キロ近い巡航ミサイルを保有するが、弾道ミサイルに比べて速度が遅く(時速800-900キロ)、破壊力が弱いため、その間、弾道ミサイルの射程距離延長に力を注いできた。最近では李明博(イ・ミョンバク)大統領が直接ミサイル射程距離の延長に言及したりもした。

韓国政府当局者は「米国とさまざまな形の協議を通じて最終調整され、今月中旬、ワシントンでの両国国防・外交長官会談で公表されたため、ミサイル協定修正手続きを踏むことになるだろう」と説明した。

 

韓国大統領候補の鄭夢準氏の核保有と朴槿恵氏の北軍政との対話は、あまりに幼稚で危険な発想

 投稿者:  投稿日:2012年 6月 4日(月)10時24分57秒
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  韓国与党・セヌリ党の大統領候補の一人、鄭夢準議員が3日、「米国に依存する核戦略を越えて、韓国も核兵器保有能力を確保する必要がある」と主張した。北朝鮮が新しい憲法序文に核保有国と明示したのを意識した発言だ。

鄭議員はこの日の記者会見で、「核兵器は在来兵器を無力化させる絶対武器であり、‘核には核’という恐怖の均衡なしには平和を得ることはできない」とし「核兵器がない韓半島をつくるには、逆説的にわれわれも核武装をするべきであり、すぐに核兵器を保有しなくても保有能力を確保しなければならない」と述べた。

鄭議員のこの日の発言は、国会対政府質疑で「戦術核再配置」を主張してきた過去に比べ、一段階さらに高まった内容だ。鄭議員はまた6カ国協議など韓半島の非核化外交を「失敗」と規定した。

鄭議員は「北朝鮮が憲法に核保有国であることを明示したのは、核廃棄はこれ以上交渉の対象にはならないという意味」とし「安保政策に対する全面的な再検討が必要で、少なくとも核兵器保有能力を確保してでも国民の命を守らなければならない」と主張した。続いて「大統領になれば核保有能力を確保してでも北朝鮮の核をなくす」と明らかにした。

また、大統領選の公約として核兵器能力保有のほか▽北朝鮮の核保有国地位を絶対に認めない▽2015年の戦時作戦権転換計画の全面見直し▽中国との戦略対話の強化▽安保部処間の有機的協力体制の強化--などを提示した。

韓国が核武装能力を確保する過程で引き起こされる国際的な反発については、「国際社会の反対を乗り越えられるかという批判が予想されるが、今は非常状況であり、北の核武装は常識的な方法で解決できる問題ではない」と主張した。

またセヌリ党の朴槿恵(パク・クネ)前非常対策委員長について「北の核武装に対し、いかなる対策を持っているのか気になる。朴前委員長の北朝鮮関連発言を聞くと心配になる」と指摘した。

鄭議員は「朴前委員長が金正恩(キム・ジョンウン)を『約束を守ろうと努力する人』と述べ、米外交専門紙の寄稿で『北に過ちがあれば警告し、うまくやって補償をすれば、北朝鮮も私たちのようにならない理由はない』と主張した。あまりにも安易に考えているようだ」と批判した。

韓国与党・セヌリ党の大統領候補の鄭夢準議員と朴槿恵前非常対策委員長の意見は異なる。
韓半島情勢が緊迫する時には、いつも吹き出す主張と同じだ。

このお二人の主張は選挙には効力があった、だが北朝鮮問題を悪化させたことは、周知の事実だ。

金正恩は、何も知らない操り人形だ。北軍政の政策を立案し、実行する「祖国統一戦線」の秘密野望、日韓侵攻が最終段階に至った非常事態に、過去と同じセリフを繰りかえすのは、あまりに危険だ。非常事態の今、実行すべきは、北朝鮮問題の抜本的な解決策を見出し、速やかに施行することだ。

北朝鮮問題の抜本的な解決策とは、北朝鮮住民拉致犠牲者を飢えさせ、餓死させ、脱北させる北軍政を消滅させること、すなわち北軍政を延命させる命綱の朝総連らを消滅させることだ。足元の問題を解決できず、遠くの問題を解決できるわけがない。

韓国の親北軍政勢力と海外親北勢力を統括する朝総連の秘密北送資金の根絶こそ、北軍政を消滅させ、民の命と生活を守ることだという事実を一日も早く韓国と日本の政治家と国民に気付いて頂きたい。今度は、手遅れだったでは、済まされない。
 

金正恩は、新型ミサイルなど各種兵器の実態を知らない広告塔。

 投稿者:  投稿日:2012年 4月18日(水)14時05分34秒
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  金日成生誕100年記念閲兵式で金正恩は、崔竜海人民軍総政治局長、李英浩軍総参謀長、金正覚人民武力部長の「軍部3人衆」に「同志」と呼称しなかせら、閲兵式パレードで披露された兵器について質問していた。

閲兵式パレードに参加した放射砲(多連装ロケット砲)や戦車、ミサイルなど各種兵器が主席壇の前を通るたびに、種類や作動方法などを軍部3人衆に尋ねた。

また新型長距離ミサイルを含む各種弾道ミサイルを積んだ移動車両が通過すると、満面の笑みを浮かべて「いい、いいね」と言ったと、消息筋は伝えた。

特に、金正恩氏は特定ミサイルを指差し、「あれは撃ったことがあるのか」と尋ねた場面もあった。

金正恩氏は、自分に向けられた国際社会からの視線を楽しむように無邪気に質問していたが、軍部3人衆は、手で口を隠しながら慎重な様子で答えているのが対照的だった。

韓米の対北朝鮮情報機関は、閲兵式の中継放送に2~5秒ずつ登場する金正恩氏と軍部3人衆の対話の映像を何度も視聴し、正確な対話の内容を分析している。軍消息筋は、「彼らの発言を綿密に分析すれば、金正恩氏と軍部の権力関係、北朝鮮の兵器関連情報を把握することに大いに役立つだろう」と述べた。

金正恩は、新型ミサイルなど各種兵器の実態を知らない金日成の孫という、ただの広告塔てある真実がこれから暴露される。そして祖父の金日成主席も、スターリンが仕立てた偽物の金日成将軍だった真実も暴露される。

何より北軍政の政策を立案・実行してきた「知られざる秘密組織」の実態を史上初めて、本HPで明らかにする。
 

新型長距離弾道ミサイルの初公開

 投稿者:  投稿日:2012年 4月16日(月)01時03分16秒
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  北軍政は15日、故金日成主席の100回目の誕生日軍事パレードで、大陸間弾道ミサイル(ICBM)と推定される新型の長距離ミサイルを初めて公開した。

 韓国軍消息筋は同日、このミサイルについて「まだ一度も試験発射したことがなく、実戦配備したかどうかは不確実だ」と述べた。ミサイルは直径2メートル、長さ18メートル以上で、射程距離は中距離弾道ミサイル「ムスダン」(約3000~4000キロ)よりも長いと推定されると説明した。


北軍政が50発(2009年基準)を実戦配備したムスダンは直径1.5~2メートル、長さ12~18.9メートルで、2010年10月の朝鮮労働党創建65周年記念の軍事パレードで初めて公開された。

 また別の韓国軍消息筋は、北朝鮮が新型ミサイルを配備したかどうかを韓米の情報当局が追跡中だとした上で、「ミサイルの長さがムスダンより長い。射程距離は約5000~6000キロで、ICBM級に分類できる」と話している。

 

銀河3号ミサイル発射の失敗

 投稿者:  投稿日:2012年 4月13日(金)10時58分9秒
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  北軍政は2012年4月13日午前7時38分55秒に発射した銀河3号(テポドン)ミサイルの試射に失敗した。

インドのガンジーはイギリスの植民地支配とローラット法(治安維持法)に「非暴力・不服従運動」で対抗し民衆を覚醒させインドを独立に導いた。
ガンジーの名言「私は失望するといつも思う。歴史を見れば真実と愛は常に勝利を収めた。暴君や殺人狂の為政者もいた。一時彼らは無敵にさえ見える。だが結局は滅びているのだ」

暴君や殺人狂の為政者北軍政が消滅する時がきた。

北軍政を延命させてきた朝鮮総連ら北軍政工作組織を一掃する時がきた。

日本の中の朝鮮総連ら北軍政関連組織対策法を立法化施行する時がきた。

そして北朝鮮公民の北朝鮮住民と朝鮮総連の会員らを救済する時がきた。
 

米本土にも潜在的に脅威

 投稿者:  投稿日:2012年 3月30日(金)13時52分39秒
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  米太平洋軍のロックリア司令官は29日(日本時間30日)、下院歳出委員会の公聴会で、「最近のさまざまな事態により、北朝鮮の状況は最も緊急な安保懸案となった」との見方を示した。

 また北軍政が推進しようとしているさまざまな形の挑発行為から安全保障を確保するために準備態勢を整えると述べた。

 また、同公聴会に出席したサーマン韓米連合軍司令官は、北朝鮮の金正恩体制について「過去の金日成主席、金正日総書記と同じ政策パターンをたどっていることが明らかだ」と評価した。

 北軍政が予告した長距離弾道ミサイル発射実験とみられる「衛星」打ち上げ計画については「国連安全保障理事会決議に明確に違反しており、朝鮮半島と周辺地域の緊張を高めている。北朝鮮は今後、周辺地域はもちろん米本土にも潜在的に脅威となる」と指摘した。
 

各家庭から2万ウォンを徴収

 投稿者:  投稿日:2012年 3月25日(日)04時51分5秒
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  「若い奴(金正恩)が実権を握ったが、父親(金正日)よりも強烈だ」。

咸鏡北道茂山の消息筋は、金日成の100周年の誕生日(4月15日)を迎え、様々な記念行事の準備に動員され、街の装飾や環境美化に必要な負担金が大きくなったことに対する不満をこのように吐露した。

この消息筋は「15日から金日成誕生日を迎える準備に突入した。通り、街の装飾、芸術公演の保証などの名目で各家庭から2万ウォンを徴収している」と伝えた。

咸鏡南道咸興の消息筋も、各家庭にベランダに花を植えた植木鉢8個を飾るように指示が下されたと述べた。また、通りの花壇にも各家庭が花を植える様に指示したという。ツツジの花の需要が高いという。

江原道元山の消息筋は「一日に商売で2千ウォンを稼ぐのも大変だが、マンションの外壁塗装費用の名目で2万ウォンを徴収していった。新指導者はマシになるだろうと思ったが、もっと酷くなった」と述べた。

通常北朝鮮では、この時期に町役場の手動による大掃除を行ってきた。元来は、マンションは外壁塗装を行ったり、住宅の場合は門の塗装を行うぐらいだった。また、市・郡は街路樹の植木鉢に塗装を行うレベルで行い、各家庭(4人1家族)から5千ウォン程を徴収していた。

ところが、今回は中央党が強力な指示を下し、マンション、住宅を問わずに内装・外装の塗装を行わせ、当局が検閲を行なっているという。これ以外にも学生から労働者に至る全住民から資金を徴収している。

北朝鮮当局は、総動員期間に不誠実な態度で参加した人物を「政治的に評価する」と脅している。

農村支援戦闘期間と同様に、当局が不誠実と判断した住民は人民班会議などで思想批判を受け、党員は追党措置、工場企業所の幹部らは左遷、解任などの強力な処罰が行われる。

金日成誕生100周年と強盛大国入り宣言を行う為の行事を大々的に準備をしている。通常は4月初めから太陽節の行事準備を行うが、今年はこれを半月も早めた。

また、長距離ロケット発射と党代表者会も予告されている。これら全てが4月に行われ、海外から多くのメディアと人が集められる予定である。

北朝鮮全域では、各組織、単位毎に忠誠の歌の会、芸術公演、金日成花の展示会などが行われている。特に、今年は芸術公演に責任幹部らの無条件での出演指示が下された。工場企業所では、党書記と支配人が、軍では部隊長と政治委員が参加する。

この指示は、忠誠心の発揮において幹部が率先すべきであるという意味と考えられる。今月8日、国際女性デーを記念して開かれた銀河水音楽祭では、81歳の呉克烈(オ・グンヨル)国防委員会副委員長が家族と共に舞台に上がり、金正恩の前で歌を歌っている。

茂山の消息筋は「全ての機関、企業、学校では、午後に歌や楽器の練習をしており、民主女性同盟も午後7時まで歌と踊りの練習に動員されている。幹部らは雰囲気を盛り上げる為に、女性同盟員らにチマチョゴリだけを着用させており、女性らは寒さに震えている」と話した。

女性同盟員らの多くは午後に市場で商売を行なっている為、準備への参加率が低い。当局は不参加者に対して行事分担金の負担を強いている。
 

金正恩が「開戦したら敵は降伏文書に調印するだろう」と前哨兵を激励

 投稿者:  投稿日:2012年 3月 6日(火)12時47分4秒
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   金正恩が韓国との軍事境界線がある板門店を視察し、祖国を防衛する前哨兵たちの忠誠を高く評価した。

 また金正恩は「開戦すれば、必ず敵は降伏文書に調印するだろう」と述べた。5日付で環球時報が報じた。

 金正恩は、板門店の金日成主席の親筆碑のほか、板門閣の展望台から韓国側を視察し、板門店の前哨兵に「常に緊張感を持ち、いつでも動員できるようにすべきだ」と語ったほか、板門閣や統一閣、停戦交渉会議場、停戦協定調印場などを視察した。

 そして金正恩は「開戦すれば、降伏文書を敵に調印させることになる」とも述べた。

 さらに金正恩は、部隊に双眼鏡と自動小銃、機関銃を記念に贈った。

 北朝鮮メディアは、金正恩が核兵器と中長距離ミサイルを管理する秘密部隊の朝鮮人民軍第842部隊を視察したと伝えた。

 北朝鮮メディアが秘密部隊を取り上げることは珍しく、故・金正日総書記が生前にこの部隊を視察したことは公にされたことはない。

 米国のボズワース前北朝鮮問題担当特使は「もしも北朝鮮が国際社会からの圧力もしくは軽視を感じているならば、国際社会の関心を集め、さらに自国の力を誇示するために、ミサイル発射あるいは核実験を行うだろう」と述べている。

 北軍政の戦闘態勢は整ったようだ。
 後は軍の食糧確保と長距離弾道ミサイル・テポドンの発射実験だけである。

 

米国の今再びの対北支援実行は、日韓消滅の危機を招来する。

 投稿者:  投稿日:2012年 3月 2日(金)11時24分15秒
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  脱北難民(北朝鮮人民)は、「北政権打倒」を訴えている。
北軍政は今、未曽有の消滅の危機を迎えている。
恐怖政治を実行する軍人の食糧が枯渇しているためである。

だが、米国は北朝鮮住民拉致犠牲者の訴えを無視して、またも北軍政消滅の危機を救おうとしている。
1994年の北軍政崩壊の危機を救った米朝枠組み合意のあやまちのように…。
北軍政の対北支援の実行だけだった過去の「六か国協議」のように…。
またブッシュ政権の「テロ支援国家指定解除」のように…。

北軍政の命綱の日本の朝鮮総連を野放しにしてきた日本政府は、またも米国の過ちを歓迎すると発表した…。

米朝高官協議の合意を受け、米国務省のロバート・キング北朝鮮人権担当特使が来週中に北朝鮮の李根(リ・グン)外務省米州局長と会い、北朝鮮への栄養補助食品(食糧)提供に向けた詳細協議を行う計画だ。

 外交筋が1日、明らかにした。協議の場所は第三国とするが、中国・北京の可能性が高いという。

 米朝は先月23~24日の高官協議で、長距離弾頭ミサイル発射を一時中止するために、北朝鮮がウラン濃縮活動の一時中断をはじめとする非核化に向けた措置の一時中止という出鱈目な名目のために米国は24万トンの栄養食品を提供することで合意した。

 今ふたたび米国が対北支援の過ちを犯すことを傍観することはできない。
 中国・ロシア・米国は、北軍政の消滅を望んでいない。恐るべき利害が絡んでいる。
 日韓が消滅すれば、廃墟になれば、中国・ロシア・米国は喜ぶのか、悲しむのかは言うに及ばない。

 だが日韓の政府も、人々も傍観している。これを何と言うのであろうか。



 

韓国と北朝鮮の経済格差拡大

 投稿者:  投稿日:2012年 1月19日(木)00時14分59秒
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  韓国の統計庁が17日に発刊した「北韓(北朝鮮)の主要統計指標」によると、北朝鮮経済が2年連続でマイナス成長を記録し、南北の格差が広がっていることが明らかになった。

 ◇北朝鮮GDPは韓国の42分の1

 2010年の1人当たりの国民総所得(GNI)は、韓国の2万759ドル(約159万円)に対し、北朝鮮は1074ドルで、19.3倍の開きがあった。前年の18.4倍から一段と拡大した。

 北朝鮮の実質国内総生産(GDP)の増加率はマイナス0.5%で、2009年に続き2年連続でマイナス成長を記録。GDPは24兆5970億ウォンで韓国の42分の1だった。

 2010年の貿易総額は韓国が8916億ドルで、北朝鮮の42億ドルの212.3倍となった。
 韓国の貿易相手国が中国(21.1%)や日本(10.3%)、米国(10.1%)などであるのに対し、北朝鮮は中国の割合が56.9%に達し、中国への依存度が高まっている。

 ◇韓国の人口は北朝鮮の2倍

 2010年の韓国の人口は4941万人で、北朝鮮(定かではない)の2418万7000人の2倍を上回った。

 女性100人当たりの男性数を示す性比は韓国が100.4、北朝鮮が95.1だった。

 期待寿命は韓国の男性77.2歳、女性84.1歳に対し、北朝鮮は男性64.9歳、女性71.7歳だった。

 ◇原油導入量は226倍

 2010年の原油導入量は韓国(8億7241万5000バレル)が北朝鮮(385万4000バレル)の226.4倍となった。発電設備容量は韓国が北朝鮮の10.9倍、発電電力量は20倍だった。

 2009年の耕地面積は韓国(173万7000ヘクタール)が北朝鮮(191万ヘクタール)より小さかった。2008年の農業従事者1人当たりの食糧生産量は韓国(1.7トン)が北朝鮮(0.5トン)の3倍以上。2010年の漁獲高は韓国が北朝鮮の4.9倍だった。

 原木生産量は北朝鮮が韓国の約2倍だった。

 鉛、亜鉛の非鉄金属は韓国が北朝鮮の2.7倍、鉄鉱石は北朝鮮が韓国の9.9倍だった。

 自動車生産量では韓国(427万2000台)が北朝鮮(4000台)の1068倍となった。粗鋼は韓国が北朝鮮の46.1倍、セメントは7.6倍、化学肥料は6.1倍、化学石油は48.8倍だった。
 

拉致犠牲者全員の解放策

 投稿者:  投稿日:2012年 1月 1日(日)15時30分51秒
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  強盛大国実現公約期限直前の2012年4月4日に何かが計画されていた。

だが、計画したユーラ(金正日)は、公約実現前に死んだ。

人類最悪の詐欺師であり殺戮魔の金成柱(故・金日成主席)の遺訓を達成できずに死んだユーラ(金正日)の遺訓を達成するため、金正恩が

朝鮮人民軍最高司令官になった。

金正恩世襲独裁軍政の暴挙を放置・傍観・黙認すれば、必ず再南侵核戦争に至る。


「北朝鮮は地上の楽園、豊かな生活を保障する」、「偉大な抗日の英雄金日成将軍」という大ウソ宣伝を繰り広げ、在日コリアンを騙したのは、

極東(祖国)統一戦線中央委員の韓徳銖(朝鮮総連終身議長)であった。

「北朝鮮は地上の楽園、豊かな生活を保障する」、「偉大な抗日の英雄金日成将軍」という大嘘のプロパガンダ宣伝を繰り広げ、在日コリアンを騙し、

北軍政の対日・対南・対民団破壊包摂工作を実行したのは、極東(祖国)統一戦線中央委員の韓徳銖(朝鮮総連終身議長)であり、朝鮮労働党

統一戦線部の朝鮮総連らであった。北軍政の対日・対南・対民団破壊包摂工作全般を担ったのは、朝鮮労働党統一戦線部の朝鮮総連らであった。

北朝鮮世襲独裁軍政の頭脳・身体、手足となって動く朝鮮総連が暗躍する限り、北軍政は消滅しない。

沖縄の米軍基地も消滅しない。アジアに平和は訪れない。

朝鮮総連らが消滅すれば、北軍政も消滅する。

韓半島の南北平和統一が実現し、拉致犠牲者全員の南北自由往来が可能になる。
 

金正日死亡。

 投稿者:北朝鮮  投稿日:2011年12月21日(水)10時27分6秒
返信・引用 編集済
  北軍政の金正日が死んだ。

ソ連人ユーラが死んだ。スターリンと金成柱とおなじソ連式ミイラ葬儀をするのは、なぜか。

悲しくないのに、泣きプロパガンダに動員されるのは、なぜか。

いつ死んだのか。病死したのか。暗殺されたのか。真実を見せない世襲王国の秘密。

ウソ・ウソ・ウソ、嘘で血塗られた世襲王国の秘密。

 

北軍政が米国攻撃用の大陸間弾道ミサイル(ICBM)を開発中

 投稿者:  投稿日:2011年12月11日(日)19時47分38秒
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   北軍政が米国を攻撃できる移動式の大陸間弾道ミサイル(ICBM)を開発中だと、米紙ワシントン・タイムズ紙が5日(日本時間6日)に報じた。

 同紙は複数の政府関係者の発言を引用して報じた。報道によると、11月中旬に米下院軍事委員会の小委員会で開かれた非公開会議で、北朝鮮の同ミサイル開発情報が公開されたという。同小委所属の議員らは憂慮の念を伝える書簡をパネッタ国防長官に送ったという。

 書簡は北朝鮮について直接言及していないが、北朝鮮のICBMが米国の脅威になるという6月のゲーツ前国防長官の発言を引用した。

 情報筋も、このミサイルが北朝鮮が昨年10月に初公開した「BM25(ムスダン)」の改造型と見ているという。

 ちなみに北軍政が米国を攻撃できる核ミサイルを開発するのは、再南侵(韓国と日本への侵攻)時に米国の戦争介入を阻止するためであることは、以前から指摘してきた。

 テポドンミサイルの発射実験失敗などで、北軍政のICBM開発は、予定より数年遅れたことは、不幸中の幸いだった。その理由は、ICBM核ミサイルが配備された時が、再南侵決行の時だからである。2012年は、何が起きても不思議ではない乱世になるようだ。 
 

GNH(国民総幸福度)を学ぶ時代

 投稿者:  投稿日:2011年11月21日(月)14時20分20秒
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   先進国と後進国という概念の国の豊かさを測る尺度は、「GDP(国民総生産)」とされてきた。

 日本の 1 人あたりGDPのOECD諸国内における順位をみると、1993 年 には 1 位となるなど、2000 年代初頭までは常に上位をキープしていた。
だが、01 年以降じりじりと後退し、03 年には 10 位、07 年には 19 位まで落ち込んでいた。その原因は治安や生活保護者比率といった基本的生活レベルや精神的幸福度の悪化であった。

 今月、ブータン国王夫妻の来日を契機に、日本でも「GNH(国民総幸福度)」という互助互恵(自然と動物と人間の共和共栄平和)の概念が注目され始めた。

 国民総幸福量(Gross National Happiness, GNH)または国民総幸福感とは、1972年に、ブータン国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが提唱した「国民全体の幸福度」を示す“尺度”である。

 国民総生産 (Gross National Product, GNP) で示されるような、金銭的・物質的豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさ、つまり幸福を目指すべきだとする考えから生まれたものである。

 2005年5月末に初めて行われたブータン政府による国勢調査では、「あなたは今幸せか」という問いに対し、45.1%が「とても幸福」、51.6%が「幸福」と回答した。

 国内総生産(GDP)が個人消費や設備投資から成り立つように、GNHは 1.心理的幸福、2.健康、3.教育、4.文化、5.環境、6.コミュニティー、7.良い統治、8.生活水準、9.自分の時間の使い方の9つの構成要素がある。

 GDPでは計測できない項目の代表例として、心理的幸福が挙げられる。
 この場合は正・負の感情(正の感情が 1.寛容、2.満足、3.慈愛、負の感情が 1.怒り、2.不満、3.嫉妬)を心に抱いた頻度を地域別に聞き、国民の感情を示す地図を作るという。どの地域のどんな立場の人が怒っているか、慈愛に満ちているのか、一目でわかるという。

 ブータン国立研究所所長である、カルマ・ウラはGNHについて次のように述べている。
「経済成長率が高い国や医療が高度な国、消費や所得が多い国の人々は本当に幸せだろうか。先進国でうつ病に悩む人が多いのはなぜか。地球環境を破壊しながら成長を遂げて、豊かな社会は訪れるのか。他者とのつながり、自由な時間、自然とのふれあいは人間が安心して暮らす中で欠かせない要素だ。金融危機の中、関心が一段と高まり、GNHの考えに基づく政策が欧米では浸透しつつある。GDPの巨大な幻想に気づく時が来ているのではないか」と。

 ところで、東西のGDP先進国が歩んできた経済発展過程にある昨今の中国では、今年、鉄道事故などで人命が奪われる事件が多発している。

 ちなみに今月は、64人の園児を乗車させたスクールバス(定員・9人)が交通事故を起こし、24人の幼児が死亡した。

 なぜ違法な定員オーバーが黙認されてきたのか。「誰よりも高い地位と多くのカネを手に入れるために子供を一流大学に行かせるという親と社会の物質至上主義の欲望が、学歴至上主義を拡散させ、スクールバスの定員オーバーを発生させ、黙認させた」と関係者が証言していた。

 この中国の地方政府が2011年から始まった5カ年計画で、「幸福指数」を政策目標にかかげるケースが相次いでいる。GDP偏重になるあまりに、過剰投資や貧富の格差などの社会問題を生みだしていたとの認識が広がっているためで、重慶市や北京市、広東省、貴州省などが具体案を掲げ始めた。

 「蔵の豊かさ」を求めてきたギリシャ、イタリア、スペインを始めEU諸国、そして米国を始め日本と韓国の国民は今、失業などの生活不安と赤字国債激増に苦しんでいる。


 拉致と粛清、テロと戦争などの犯罪を放置・傍観・黙認する強権政治の軍拡と核兵器を拡大させた金と地位と物を神のごとく崇拝する物質至上主義が、他者を蹴落とす弱肉強食の競争社会や学歴至上主義を拡散させた。マフィアを野放しにする武力政治を正当化し、軍事力で政治権力を奪取し、世界を支配する軍拡主義と核兵器拡散を発生させ、拡散させてきた。

 その結果、社会に失望して「夢と希望」、「生きる気力」を無くした高齢者だけでなく青少年の自殺者を増加させている。青少年の日常生活に殺人ゲームや麻薬、インスタントセックスまで浸透させている。

 「人間の幸福」とは何か。「人間教育の欠如」とは何か。
 「心の豊かさ」を求めてきたブータンの「GNH(国民総幸福度)」という「互助互恵(自然と動物と人間の共和共栄平和)」の概念を学ぶ時代が到来したのではあるまいか。


 

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